-TOPICS-

2011年度

機関紙「やどかり」2012年3月号より

やどかり情報館の新体系移行と今後

 2012年3月1日,やどかり情報館(以下,情報館)は,障害者自立支援法(以下,自立支援法)に基づく就労継続支援A型事業(雇用型)と就労移行支援事業を行う多機能型事業所に移行した.
  5年間の移行経過措置(移行猶予)の最終年度,最終月での移行となった.

 自立支援法については,「障害の自己責任」論に基づく,福祉の「応益負担」原則など,多くの問題点があることは周知の通りである.運用にあたっては,制度解釈が朝令暮改のように揺れ動き,流動的な状況が続いた.事業所に対しては,利用日数に応じた報酬支払の日割り計算方式が導入されたが,通所者数が一定しない施設では大幅な減収となっている.精神障害のある人にとって,就労を継続していくためには,タイミング良く休息をとることや,体調悪化の前兆があるときには,無理せず休養を取ることも必要だ.しかし,働くことを支えるために必要な休みが,事業所には運営を不安定にさせる原因になってしまうのだ.就労継続支援A型事業においては,これまでの雇用契約に加え,福祉サービスの利用契約を結ぶという,大きな矛盾を内包しながら,障害のある人の雇用を支えていくことになる.
  情報館では,移行時期とその対応について,慎重な検討を重ねた結果,移行はせざるを得ないものの,時期は,移行の猶予期間満了時まで延ばすことになった.

 移行を約1か月後に控え,1月28日には,情報館2階ホールにて,新体系移行についての説明会を行った.情報館で働くメンバーとその家族,職員を含めた42名が参加した.初めて顔を合わせる方も多く,それぞれの自己紹介から始まった.その後は,公益社団法人の活動と情報館で行っている事業について説明,続いて,自立支援法のあらましと,移行までに個々が行う必要な手続きについて説明を行った.意見交換では,障害認定の有効期間などの質問が出された.家族からは,就労に至るまでの経過やメンバーの変化,職場への期待などが語られた.また,情報館建設時の裏話も話され,新人職員が感銘を受けたり,家族からボランティアの申し出があったりした.新体系移行の説明会ではあったが,家族同士が繋がるきっかけとして,また,情報を共有することで,制度の理解や運営への賛同を得られる機会となったことは,とても意義深いことであった.

 情報館での就労を希望する人は,年々増加している.雇用関係を結び,最低賃金以上を保障する事業所として,また,働きたいというニーズに応えられる事業所として,事業を拡大し,障害のある人の雇用を支えていく事業方針に変わりはない.
  本意ならずも自立支援法下の福祉サービス事業所に移行した情報館は,今後,現場で生じるであろう矛盾や運用の困難さ,その現状と課題を明らかにしていく責任がある.そのうえで,国や自治体にその改善を求めていくこと,併せて,自立支援法の廃止と,骨格提言を骨抜きにしない新法制定に向けた運動を命題として,粘り強く,また,けっしてあきらめることなく,より多くの人たちの賛同と理解を得ながら,知恵と力の限りを尽していかなければならない.

(宗野 政美)

 

機関紙「やどかり」2012年3月号より

活動報告

やどかりの里援護寮の新たな取り組み
〜充実した暮らしの実現に向けて〜

 平成23年4月1日,やどかりの里援護寮(以下,援護寮)は,障害者自立支援法に基づく『宿泊型自立訓練』に移行した.同年度中に改築を行い,『自立訓練(生活訓練)』と『生活介護』に移行する予定だったが,改築工事が来年度事業となったため,11月より,先行して日中活動に取り組み,平成24年4月1日に正式に多機能事業としてスタートすることになった.

援護寮の活動から見えてきたこと
  これまでの援護寮は,入所した後,時間をかけて自分の生活について考えていくことを大切にしてきた.長期入院を経験した人たちが,自分らしい生活を取り戻すために必要な支援である.一方で,社会経験が乏しい人,内科疾患を併せもつ人,精神疾患以外の障害を重複している人,病状が不安定である人など,さまざまな課題を持つ人も増えてきており,自分で日々の予定を組み立てることが難しいために生活が崩れてしまったり,自分から人とのつながりをつくる機会を持ちづらい人たちへの支援も必要になってきている.さらに,地域生活を送っているやどかりの里の登録者の中にも,日中,在宅中心の生活を送っているため,他者との関わりがほとんどないという人たちもおり,新しい活動づくりのニーズへの対応が求められるようになってきた.

新たな活動づくりに向けた取り組み
  日中活動を始めるにあたって,初めに事業の枠組みを決めるのではなく,援護寮の入所者や体験利用者,また,やどかりの里内の地域活動支援センターに登録する人たちのニーズ確認を行い,その上で課題を整理し,必要なプログラムを考えていくこととした.
  まずは,先行して援護寮の入所者を対象に,朝の掃除や夕方に翌朝の朝食を準備するプログラムをスタートさせた.これは,@ 1日の生活習慣を身につける,A 生活技術を身につける,B 食事の栄養バランスを考えるきっかけにするという目的で,週5日,毎日掃除を行うことで,自分たちの暮らしの場をきれいに保つことができている.また,これまでは夜勤者に朝食の献立を任せてきたが,入所者みんなで準備するようになったことで,食事のバランスを意識するようになってきている.一方で,朝食の量が多くなってしまうことも多く,今後は自分たちが単身生活でも準備しやすい献立も考えていこうと話しあっている.
  次に,これまで行っていたサークル活動やグループ活動を中心に,「通いたい」と思えるプログラムの準備を進めた.法人内・外で講師を呼び掛け,現在は,書道教室やなす花(革工芸),あゆみ舎(内職作業)のメンバー,そして周辺地域に暮らす方に講師として活躍していただいている.また,利用者が通いやすいように,必要に応じた送迎も行っている.

これからに向けて
  日中活動を始めて4か月が経過した.実際に利用している人たちは,多様な生活課題を持っており,単にプログラムに参加するだけではなく,1人1人の課題に沿った関わりが求められる.今後も,利用者の多様なニーズに対応できる仕組みと態勢を整え,多くの人たちの「地域で暮らす」を支える活動にしていきたい.

(玉手 佳苗)

 

機関紙「やどかり」2012年3月号より

退院支援事業報告

「退院したい」「退院してよかった」と思える支援を
〜さいたま市退院支援事業の6年間の成果とこれからの取り組み〜

 2006年度から始まった,さいたま市精神障害者退院支援事業(以下事業)が,今年度で終了となる.この事業はさいたま市保健所が中心となり,退院後も自立した地域生活を安定して継続できることを目的として,市内6か所の精神科病院,各区の障害者生活支援センター,当事者と有資格者で構成される自立支援員などの関係機関が連携し,長期入院者の退院と,退院後の安定した地域生活の定着を目指して取り組んできた.6年間で事業を利用した人は70名,うち34名が退院した(2012年1月31日時点).

退院したいと思えるまでの支援が必要
  さいたま市における退院支援事業は,退院したいと思えるまでの支援から,退院後の生活支援までの支援に至るまで,関係機関が一同に会し取り組んできた.しかし,来年度からは改正自立支援法(以下,法)による地域移行・地域定着支援という枠組みの中で,相談支援事業者(各区障害者生活支援センター)が病院から退院希望の人の相談を受けて連携しながら取り組むこととなる.そこには,事業で大切に取り組んできた,退院したいと思えるまでの退院意欲を高めるような支援は,どこにも位置づかなくなる.事業利用者の半数がまだ退院に至っていないことを考えると,退院支援は長い時間と働きかけが必要な取り組みだといえる.
  事業では病院での交流会の開催や作業療法プログラムに自立支援員が継続して参加し,自立支援員と顔見知りになっていくことで少しずつ退院意欲を高める関わりをしてきた.当事者自立支援員と話す中で「○○さんのように生活できるかな」「○○さんが手伝ってくれるなら退院してみたい」と事業利用につながる成果がみられた.また,各精神科病院の看護に携わる職員に向けて地域資源の見学会を定期的に行い,退院後の地域での生活を直接見てもらうことで,「あの人も地域で生活できるかもしれない」と退院支援事業に対する病院関係者の意識の変化も見られるようになってきた.

退院してよかったと思える支援を
  今年度が事業利用の最後のチャンスと聞き,思い切って事業の申し込みをした小宅迪子さんは,20年近い入院生活の後,事業を利用して昨年援護寮に退院した.長い入院期間の中で,「退院なんて…」と地域での生活を諦めていたが,周りで退院していく人を見て退院したい気持ちになり,病院のスタッフにも「できなくても大丈夫.手伝ってくれる人がいるよ」と言われ,事業利用に踏み出した.最初は本当に手伝ってくれるのか不安が多かったが,支援者と顔を合わせたらホッと安心し,その後の不安は少なかった.1人で外出することへの心配はあったが,付き添ってくれる人がいて安心だった.退院の話が出たときには不安になったが,周りに手伝ってくれる人がいたから退院も前向きに考えられた.退院したら関わりが終了してしまうかと思っていたのに,その後も関わりがあってよかった.今は開放的な生活を送っていて,「退院してよかった」と話してくれた.

 さいたま市内の精神科病院には,支援があれば退院可能な人が120人いるといわれている(2011年12月実施.市内精神科病院調査結果).制度が変わっても,入院している人たちに支援を届け,1人でも多くの人が「退院してよかった」と思えるような支援し続けていかなくてはならない.

(阿部 友恵)

 

機関紙「やどかり」2012年2月号より

「人生,ここにあり!」上映会開催

映画上映を通して取り組んだこと

 去る1月15日(日),市民会館おおみやにおいて,イタリア映画「人生,ここにあり!」の上映会を開催した.映画は1日3回上映.約600人の人たちが来場してくださった.
  上映に際しては,埼玉県複数事業所連携事業を活用し,やどかりの里と大谷事業所,きりしき共同作業所,あげお福祉会の事業所と協力して実施した.

働くことは生きること

 1978年以降のイタリア.バザリア法によって精神病院が廃止される中,ある精神病院が協同組合へと変身を遂げた.この映画はその実話に基づき,1983年のミラノを舞台に,精神障害のある人たちが働くことを通して人生を取り戻していく様をリアルに描いている.
  降りかかる困難な状況を乗り越えながら仲間との絆を深め,生きる希望を見いだし,時に世間の壁にぶつかりながらも働くことを通して自分たちの生きる道を切り拓いていく.その姿に国境はないと感じる.‘やればできるさ’を合言葉に,夢と希望に向かって挑戦していく登場人物たちの生き様は,人が生きていく素晴らしさを投げかけている.

感動が広がった映画上映

 今回の上映会は,映像を通して精神障害のある人への理解を深めるとともに,新たな人たちとの出会いとつながりを創り出すことを目的に実施した.事業所ごとに地域住民や教育・労働機関に携わる人たちなどに広く呼びかけ,当日は当事者や家族,医療関係者はもちろんのこと,学生や自治会役員の方々や,チラシやポスターを見て当日券を購入し鑑賞してくださる人たちもいた.「もっと多くの人に観てほしい」「実話なんてすごい.感動した」などの感想も寄せられた.
  また,「こころの健康を守り推進する基本法」制定を求める署名活動や東北物産コーナーも設け,上映後に立ち寄ってくださる人たちも多くいた.

わが地域を歩き,知る

 今回の映画上映は,準備期間がいつもより短く,年末年始を挟んでわずか1か月.短期間で精力的に取り組むこととなった.
  特に,映画上映の準備期間を私たちが地域の人たちと出会う機会として捉え,宣伝のために近隣を歩いて回った.各事業所の周辺およそ半径100メートルの地域を一軒一軒ノック.こころの健康への関心とやどかりの里の活動を知ってもらう機会として,手には映画チラシ,やどかりの里の活動紹介,エンジュ・援護寮拡張の寄付依頼のお願い文を携え歩いた.もちろん反応は千差万別であったが,知っているようで知らない地域の人たちの姿に接しながら,その反応1つ1つを新鮮な思いで受け止める時間となった.

 振り返って考えれば,日々の活動の中で,わが事業所周辺の地域をどれほど歩いているだろうか.足を使って歩くことで,車やバイクで走り去っている時には気づかないものに皮膚感覚で気づかされることがある.
  映画上映を通して,日常のいろいろな機会を捉えてわが地域を歩き,発見し,人々の暮らしに触れる活動を日々の実践に根づかせていくことが大切なのだと,改めて感じることとなった.

(三石 麻友美)

 

機関紙「やどかり」2012年2月号より

埼玉発「みんなで創ろう!障害者総合福祉法を!」

力を合わせ総合福祉法の実現を

 1月20日,埼玉会館小ホールで「みんなで創ろう!障害者総合福祉法を!in埼玉」が開催された.朝からみぞれ降る中560人が集結.やどかりの里からもメンバー,職員が多数参加した.

埼玉でも広がる運動の輪
  埼玉では,障害者自立支援法成立後,県内の団体で県民集会を開催してきたが,今回はより幅広い団体で準備が進められてきた.
  経過として,一昨年11月,障がい者制度改革推進会議がまとめた「第1次意見」を広めることを目的に,内閣府と県内障害者団体による実行委員会で「地域フォーラム」が開催された.その後,東日本大震災が発生.「地域フォーラム」に参加した団体で,被災地の状況や制度改革に関する情報交換会を行ってきた.全国では「10.28JDF大フォーラム」が開かれ,ひとかたまりの運動が広がる中,埼玉でもつながりが広がりつつある.

緊迫する情勢の中で
  フォーラムは,埼玉県障害者協議会の森田代表理事のあいさつで開会.埼玉県知事(代理),埼玉県会議長,さいたま市長(代理)より来賓あいさつがあり,県選出の国会議員や県議会議員も多数かけつけた.総合福祉法を巡って情勢が揺らぐ中,総合福祉法の実現を求めてすでに採択されている,埼玉県議会,さいたま市議会,川口市議会,行田市議会,日高市議会の意見書が国会議員に託された.
  次に,佐藤久夫先生(日本社会事業大学・障がい者制度改革推進会議総合福祉部会部会長)に「障害者総合福祉法への骨格提言の意義・内容・制定動向」と題してご講演いただいた.動向として,8月に総合福祉部会で骨格提言が出された後,民主党の障がい者ワーキングチームや自立支援法違憲訴訟団と国との検証会議の中で,与野党や厚労省から,「総合福祉法ではなく自立支援法の改正でいいのではないか」といった極めて消極的な姿勢が示されているという.
  骨格提言は,当事者を中心とした部会員55人の合意形成によるもので,当事者参加の政策立案への第一歩.障害者権利条約と自立支援法違憲訴訟団と国との「基本合意」をベースとした,戦後60年における障害者福祉の転換となるものだから単なる自立支援法「改正」ではおかしい,そして,たとえ政権交代があっても骨格提言の中身は変えられないもの,と強く語られた.

障害者総合福祉法の制定を!
  県内の障害者関係者からはそれぞれの立場から現状と新法への期待が語られた.
  「医療が地域で整わないまま単に入所施設をなくす,というのでは大いに不安」
  「どんなに重度の障害があっても分け隔てられることなく地域で暮らせるように」
  「希少な難病でも,全国どこで生まれても専門的な医療や支援が受けられるように」
様々な障害や疾病の困難さ,支援体制の不十分さを共有し合う機会となった.
  終わりに,障害者総合福祉法の制定に向けて県内でも力を合わせていくこと,埼玉から「がんばりましょう」と発信していこうとアピール文が採択された.
  新法は今国会に上程される見通しだ.未だ自立支援法を残す動きが聞こえてくる中,戦後60年の改革へ,と一歩を踏み出すフォーラムとなった.

(香野 恵美子)

 

機関紙「やどかり」2012年2月号より

研修レポート 働く場での研修を通して
仲間がいること,やりがいがもてること

 浦和区障害者生活支援センターに入職して4か月が経ち,地域で生活するメンバーの支援を行う様々な現場を知り,自らの視野を広げたいという気持ちから,働く場であるエンジュとドリームカンパニーでの研修を行った.働く場の魅力を見つけるとともに,そこで働いているメンバーとの関わりを通し,新たな視点で1人1人の暮らしを知ることを目的として,研修に臨んだ.研修は2011年8月〜11月にかけて,週1回程度の頻度で行った.

働く場の魅力

 働く場の魅力の1つは,仕事を通じて出来る「仲間」だと感じた.研修に行く前のイメージは,ピリピリとした雰囲気で,黙々と作業をこなしていくような場所を想像していた.しかし,実際に訪れてみると,事務所ではスタッフとメンバーの世間話や笑い声が飛び交い,とても和やかな雰囲気だった.しかし,作業場に入ると先ほどまでの和やかな雰囲気とは違い,みんなが真剣な面持ちで,次々と各自の仕事をこなしていた.ただ,黙々と作業をこなしている中にも,「○○さん.その仕事手伝うよ」「次こっちの仕事手伝って」と,互いに声をかけ合い,助け合いながら仕事をしている姿が印象的だった.このように仕事を通じて共通の目標に向かって一緒に取り組む「仕事仲間」を作れることや,チームワークを大切にした働き方が,働く場における大きな魅力なのではないかと感じた.
  また,「やりがい」を持てることも大きな魅力の1つだと感じた.どちらの現場でも,運営の状況や売上等の情報を共有し,メンバーと職員が一体になって運営を行っていた.そうした中で,メンバーからも「これをやってみては」「それをやるのは反対だ」という意見が出され,1人1人が責任をもって運営に携わっていることが感じられた.そうした責任感が仕事へのやりがいを生み,日々の仕事にメリハリを作っているのだと感じられた.

自分らしい働き方を選ぶ

 働く場の特徴の中で,とても大切だと感じたのは,安心して「自分らしい働き方」を選択できることだ.
  働く場では,メンバー1人1人がそれぞれの目的や体調に応じた働き方をしていた.収入を得たい人や一般就労を目指している人,生活リズムを整えるために通っている人,長時間働く事に自信がない人や,調子を崩しやすい人など,様々な人が一緒に働いていた.安心して働ける環境を作るために,働く時間や仕事内容を,1人1人の目的や体調に応じて調整し,無理をせずに「自分らしい働き方」で仕事が出来る環境がつくられていた.一般就労の場にはない大きな違いなのではないかと感じた.

学びを生かして

 働く場での研修を経て,メンバー1人1人のもつ「自分らしさ」を大切にした支援のあり方を,改めて知ることができた.この学びを生かして,時間をかけて相手と向き合い,相手の気持ちや暮らしに寄り添った関わりをしていけるよう,これからも努力していこうと思う.

(関口 和司)

 

機関紙「やどかり」2012年1月号より

新生「ルポーズ」始動

喫茶ルポーズ1月23日(月)にグランドオープン決定!

 昨年10月から始まったルポーズの改装工事が無事完了し,いよいよグランドオープンを迎えることとなった.3か月間に渡る工事の間の活動場所は,やどかり情報館の厨房・会議室等を提供していただき,You遊・ルポーズ合同で活動に取り組んだ.これは,2月からのYou遊・ルポーズを統合しての事業移行に備えるためである.

皆で取り組んだ引越し作業
  この間で何と言っても大変だったのが引越し作業である.今回の喫茶ルポーズの改装工事は,1階店舗の拡張のみならず,これまで一般的な住居としての間取りであった2階に客席と厨房を増設,更に柱の耐震補強をするなど大規模なものであった.そのため,これまでルポーズに置いてあった全ての器具,物品の移設をしなければならなかったが,皆で協力して無事に荷物の移設を終えることができたことは忘れられない.

店が無くても稼いだ食事販売
  店を休業している間,どのようにしてメンバーの賃金を捻出していくかが問題だと考えられたが,それは杞憂に終わった.地域のイベントへの出店,みなみハウスの土曜日の夕食販売や,やどかり情報館での昼食提供,研修のお客様への食事販売依頼も積極的に引き受けたことにより仕事は充実していた.結果,この間の収支は黒字.無事に賃金を支払うことができた安堵感もあるが,何よりもお客様のために調理をし,目の前で提供するという仕事の機会があったことが大きかったように思う.この時間があったことで,これまで覚えた調理手順の復習やお客様への配慮の見直し,新たにメニューに加わった料理の練習をすることができた.また,これまで勤務時間の都合で調理に携わることが難しかったメンバーやYou遊メンバーも新たに調理を習得することができた.

じっくり考えた学習会
  これまでも事業移行についてYou遊・ルポーズのそれぞれのミーティングや運営委員会で話を重ねてきたが,今一度全員で今後のルポーズについて考えるために,制度概要から学習をした.現行の小規模作業所が法外施設であり,法内施設への移行となること,移行先の選択肢として就労継続支援A型・B型,就労移行支援,地域活動支援センターがあること,その中から就労継続支援B型を選択した理由,自立支援法事業所における応益負担の仕組み等である.メンバーからは利用料がかかるのか,自分たちの給料が変わるのかといった質問が多く寄せられ,「利用料を支払うこと=仕事をさせてもらう感覚になる」とのメンバーの発言もあった.負担軽減策があるとは言え,応益負担制度の根本的な矛盾を改めて認識した.そして,事業移行をしてもこれまで通りに一生懸命働いて収益を上げて時給を上げていくという一つの目的を皆で持って頑張ることは変わらないことを確認した.

★新しい「喫茶ルポーズ」の見どころ★
  内装のグレードアップに合わせて新メニューの追加,値段の改定,制服の導入をすることにしました.これからも皆様に喜んでいただけるよう,従業員1人1人がサービスに磨きをかけていきたいと思います.皆様のご来店を心よりお待ちしております.

(水村 舞)

 

機関紙「やどかり」2012年1月号より

ドリームカンパニー・アトリエなす花統合

すてあーず誕生!!
心新たに,踏み出した一歩

 2012年1月1日,精神小規模作業所ドリームカンパニー,アトリエなす花(以下なす花)が統合し,就労継続支援B型事業所に移行した.今年度当初は,移行期限ぎりぎりの2012年3月を予定していたが,新規利用者が増え,1日平均利用者数も安定してきており,急遽予定を早めた.事業所名については,いろいろなアイデアが出たが,1階のドリームカンパニーと2階のなす花をつなぐ階段(stairs)と,売り上げアップ,工賃アップをめざし,一歩一歩階段を上がっていきたいという思いで「すてあーず」に変更し,心機一転,新たな一歩を踏み出した.

 障害者自立支援法下の施設への移行を前提に,現在の場所へ移転したのは,ドリームカンパニーが2006年7月,なす花が2006年8月.一つ屋根の下で活動を始めてからは,移行を含めた今後の活動展開についてなど,2か所の作業所合同のミーティングを通して,継続的に話し合ってきた.合同ミーティングでは,それぞれの作業所の活動内容を理解し,働く人同士が知りあうことから始まり,障害者自立支援法のこと,そこに示されているサービス体系についての学習,皆がどう働いていきたいのかといった思いの共有などを行った.途中,障害者自立支援法訴訟や政権交代など,情勢の動きが激しくなり,情報共有に時間を費やした時期もあった.様々な情勢の変化に一喜一憂しながらも,移転後の5年半,今まで自分たちが創ってきた活動を大切にしたい,今まで同様工賃アップ目指していきたいという思いは変わらなかった.
  移行の期限である2012年3月に向け,この1年間は,新規利用者も増えていたことから,改めて,就労継続支援B型や情勢の共有,2か所の作業所の運営状況を見直しながら,移行に向けて具体的な話し合いを行った.ドリームカンパニーは,常連客が多く,十分には程遠いものの,一定の売り上げは確保できている.しかし,なす花については,ここ数年売り上げが下がっており,厳しい運営状況が続いていた.営業活動を行い,販路拡大を目指したが,単価が低い手作り小物での勝負には,限界があった.そこで,なす花の製作内容の変更をしていくこととし,これまでの活動で培った製作技術を活かし,エプロンや給食用白衣の製作を主に進めていくこととなった.すでに今,新装開店を予定しているルポーズからの注文を受け,カフェエプロン製作を開始.作業内容変更の助走段階といったところである.
  事業移行について,メンバーは「名前も変わり心機一転.これからもみんなで一生懸命頑張りたい」,「売り上げアップを目指したい」,「We can change.事業移行を機に,変わることができるのではないか」と語る.作業内容の変更や職員の変更など,不安なこともあるだろうが,一方で,変化への期待もある.この期待が実感となるよう,すてあーずとしての新たな活動を一丸となり充実させていきたい.

 すてあーずは,リサイクルショップを運営する店舗部門と,エプロン・白衣製作を主とする製作部門の2つの柱で運営していく.リサイクルショップすてあーずを今後とも変わらず,ご愛顧くださいますようお願いします.そして,すてあーず製作部門へのご注文もお待ちしております.

(宗野 文)

 

機関紙「やどかり」2012年1月号より

やどかりの里地域交流イベント

東北物産展andミニバザー開催

 12月17日(土),大宮区障害者生活支援センターと,共同型グループホーム“みなみハウス”を会場に,「やどかりの里地域交流イベント 東北物産展andミニバザー」を開催しました.現在の場所で活動を始めて2年近くが経ち,多くの地域の方のご理解のもとで運営が成り立っていると感じています.そうした中,まだお互いによく知らない地域の方々との交流のきっかけとしていくためにこのイベント開催を試みました.

 イベント開催のきっかけは,昨年10月に行ったやどかりの里大バザーで販売しきれなかった寄贈品を無駄にせず再び活用したいということから始まりました.そして,日々の活動の中で,グループホームを利用しているメンバーの生活を支えていくためには,私たち職員の関わりだけではなく,メンバーが暮らしている地域の方々の存在が重要であると感じ,地域の方に私たちの活動を知っていただくことが,障害のある人たちの地域生活の可能性をより拡げていく事につながるのではないかという思いでこの企画を進めていきました.
  ただ,新しい土地で初めてのイベントということで,どうすれば地域の方に来てもらえるのかが,課題であり不安でもありました.まず,地域の事をよく知っている民生委員の方のご協力で,なるべく来場してもらいやすいようにと自治会の行事と重ならない日程を検討し,町内11か所の掲示板やマンション内の掲示板などにチラシを貼っていただき案内することができました.そして,会場周辺のお宅にイベント案内のチラシを配布しました.その中には,中川での大バザーの時はチラシを配布していない地区も含まれていたため,やどかりの里を初めて知ったという方からの問い合わせをいただいたり,イベントの事を知りバザー品を持ち込んでくださる方もいました.また,東北物産展ということもあり,「東北出身なのでぜひ行きたい」という声も聞かせていただきました.3.11東日本大震災後,被災地の障害のある人たちの通う事業所では,厳しい運営状況が続いているところがあります.東北にある事業所の商品を今回のイベントを通して購入してもらうことで,復興へ向かう一助になれればと思い東北物産展を企画しました.鴻沼福祉会のご協力や,東北の事業所と繋がりのある職員の働きかけにより,多くの商品を集めることができ,その中には,震災後に新しく商品開発された,復興への願いを込めた可愛らしい手ぬぐい,入浴剤などもありました.

 当日は,土地のオーナーさんの御好意で空いている駐車場をお借りでき,当初の予定より広くなった販売スペースに,東北事業所商品・バザー品・やどかりの里自主商品が並び,被災地支援の写真展や,やどかりの里の活動案内のポスターを配置しました.寒空の下,温かい山形郷土料理のいも煮も好評いただけたようでした.
  各売り場には,みなみハウスの朝食提供を担っている地域にお住いの主婦の方々に,販売員として参加していただき,事前にお知り合いに声をかけてくれたり,お客様として来た方と職員とのパイプ役になってくれたりと,改めて,その土地の方であることの心強さを感じました.近所の方も来てくださり,直接顔を合わせて話をする機会を持つことができました.
  今回の出会いを今後どう繋げていくことができるか,また,こうした交流の機会を定期的に継続して作っていくことが大切だと感じています.少しずつ,この土地での活動の在り方を模索していけたらと思っています.

(町田絵里奈)

 

機関紙「やどかり」2011年12月号より

3.11東日本大震災  その後

黒子としての活動を行ってきたみやぎ支援センター
支援員の派遣は終結へ

 3.11東日本大震災以降,やどかりの里はきょうされん等の全国組織の支援募金に協力し,同時に日本障害フォーラム(JDF)東日本大震災被災障害者総合対策本部の立ち上げたみやぎ支援センターを中心に職員を派遣してきた.

  私は,3月29日〜4月3日,5月8日〜15日,7月8日〜15日,10月17日〜23日までの4回にわたって,JDFみやぎ支援センターで活動を行った.

  みやぎ支援センターは,3月30日にセンターを開設し,12月4日をもっていったんみやぎ支援センターへの支援員派遣を終結することになった.

  現地が復興したと判断しての終決ではなく,被災した地域でそれぞれの事業所が事業を再開し,JDFみやぎ支援センターの支援を求められなくなったこと,みやぎ支援センターで行っていた個別支援も終決のめどがついたことなどによる.

  この間,みやぎ支援センターは1,593人の障害のある人との関わりがあり,延べ817人の支援員が参加してきた.北海道から沖縄までの各地から,さまざまな障害者団体で障害者支援を行っている職員が集まってきた.

  私自身は,直接支援の仕事よりも関係機関・団体との調整や各地から参集してくる支援員の人たちの支援内容の調整やサポートなどが主な役割だった.全国から支援のために集まってくる人たちは,何ができるだろうか,何か役立ちたいという強い思いをもってセンターを訪れる.しかし,相手のニーズに添った支援が必要であり,福祉専門職としての専門性が求められる.支援に入る人たちが被災地で学びつつ,何が求められる支援なのか,慎重に考えつつ,支援を進める必要があった.

  実際にはみやぎ支援センターは,その活動当初から個人情報保護法という大きな壁に直面した.施設などに通所している人たちは,各施設の職員がその安否を確認し,必要な支援をいち早く行っていった.しかし,さまざまな社会資源に結びついていない人たち,在宅で家族とともに暮らしていたのだろうと思われる人たちの安否確認をしたいと思っても,それは困難だった.被災時に行政と民間団体の協力は不可欠である.平常に個人情報の取り扱いについて協議する必要があると感じた.

  被災後事業所を再開したくとも職員不足で再開できずにいる事業所に支援員を派遣し,事業所の再開をお手伝いした.

  また,避難所から仮設住宅に移られた方々が,仮設住宅での生活に支障がある場合に,現地の専門職との連携で,物資を提供するなどの取り組みも行われていった.

  ある地域では,現地の相談支援事業所などの職員の指示のもと在宅の人たちの支援や移動支援も行ってきた.

  さまざまな活動を行ってきたが,JDFみやぎ支援センターはいずれは終決する活動であること,現地のみなさんの下支えをすることが本務であり,黒子に徹した支援をすることを肝に銘じて活動してきた.

  岩手のJDF支援センターはその活動を始めたばかりであり,福島は原発の関係で支援終決の見通しが立たない.

  私たちの地域もいつ震災に見舞われても不思議ではない.東日本大震災の教訓を生かした災害対策をやどかりの里でも,さいたま市でも考えていくことは急務である.

(増田 一世)

 

機関紙「やどかり」2011年12月号より

私たちの声が届けられた社会を目指して

―骨格提言学習会―

 11月26日,やどかり情報館にて,「障害者総合福祉法(以下,総合福祉法)」の骨格提言についての学習会が行われた.総合福祉法は,障害者自立支援法に代わる法律として,2013年8月の施行を目指している.現在は,障害者福祉制度の整備のために内閣府に設置された,障害者制度改革推進会議に基づく総合福祉部会でまとめられた骨格提言をもとに,厚生労働省が法案として作り上げていく段階である.総合福祉部会は,障害のある人や家族,関係者など55名で構成されており,当事者が法づくりに関わってきたということに意味を持っている.総合福祉法によって私たちの生活はどう変わっていくのか,どんな社会を目指していくのかを知るためにも,骨格提言を学ぶことは大切なことである.
  加えて,今年度は「障害者虐待防止法」やさいたま市の「障害者の権利等に関する条例(以下,権利擁護条例)」など,障害のある人の権利擁護をすすめる制度が整備されてきた.
  障害のある人や関係者を取り巻く情勢を確認する機会として,以下,大きく2点について講義があった.

1.「障害者の権利の擁護等に関する条例」について

 三石麻友美(見沼区障害者生活支援センターやどかり)より,権利擁護条例の説明が行なわれ,障害のある人に対する権利侵害である虐待・差別は,どのような事例が考えられるのか,どこに相談すれば良いのかなど,権利擁護条例のパンフレットをもとに話された.特に,虐待や差別が起きてしまう背景については,社会的資源の乏しさも挙げられており,起きた虐待・差別への対応だけではなく,根本的に社会が障害のある人や家族などを支える仕組みを整えることの重要さを感じた.

2.「障害者総合福祉法」骨格提言について

 増田一世(やどかり情報館)より,提言がまとめられた資料集『完全実現を目指して』(日本障害者協会発行)を確認しながら,骨格提言がまとまるまでの歩みや,ポイントとなる項目などの説明が行われた.特に,私たちが意識しておくこととして,骨格提言は自分たちがつくったものであること,諸外国の障害者福祉の水準にやっと追いつける段階であること,また,法律として成り立つまでに行政からの逆風は未だにあることなどが確認された.

 会場からの質問や意見では,権利擁護条例がさいたま市の条例であるため,職場や居住地が市内外で跨いでしまった場合の相談や,点字や手話などコミュニケーション手段の保障についてとなど具体的な質問が出された.また,現在,障害者福祉制度改革の大事な時期でもあるため,皆で改革の実現に向けてがんばっていこうと気持ちを改める言葉もあった.

 今回学んだ条例や提言は,私たちの声を形にしてきたとても貴重な制度である.しかしながら,骨格提言についてはこれから厚生労働省がどのような法案に仕上がるのか,目が離せない状況でもある.また,権利擁護条例も,多くの市民へ条例を広めるためには検討や工夫をしていかなくてはならない.学習会では,制度の概要を理解するとともに,今後も声を上げていく必要があると感じられる内容であった.

(八木由美子)

 

機関紙「やどかり」2011年11月号より

報告

第1回誰もが共に暮らすための市民会議開催
〜真に実効性のある条例とするために〜

 2011年9月30日,第1回誰もが共に暮らすための市民会議(以下,市民会議)が与野本町コミュニティセンターを会場に開催された.当日は約80名の人たちがワンフロアーで8グループに分かれ,18時半から約2時間半にわたる意見交換が行われた.

  市民会議は,2011年4月1日より施行された「誰もが共に暮らすための障害者の権利の擁護等に関する条例(以下,条例)」に基づき,障害者に関する施策の課題について市民が相互に意見を交換するために設置された.目的は,@ 「誰もが共に地域で暮らせるさいたま市」を目指すため,市民が主役となって話し合い,意見交換する場をつくる,A 障害のある人,家族,関係者や市民が集まることで,コミュニケーションの輪をつくる,の2点が掲げられた.参加委員は,公募によって組織される.さらに,会議進行役として,障害者施策推進協議会,障害者の権利の擁護に関する委員会,地域自立支援協議会の委員も委嘱又は任命される.委員の任期は1年で,計画づくりや日々の暮らしの中で悩んでいることなど,意見を出し合い,話し合いを行っていく.今後の予定は,12月22日(木),3月30日(金)が決まっている.

 市民会議は,18時半きっかりに始まった.始めに,市長に代わり副市長の小林氏より「条例制定はノーマライゼーションのスタートである」とあいさつがあった.続いて全体司会である平野氏(社会事業大学准教授)より,「条例づくりのための第1回100人委員会がスタートした場所と同じ場所で100人委員会の後継会議として市民会議がスタートした.今年はさいたま市障害者計画の作り直しの年でもある.直接意見を出し合う場,誰もが一緒に考える場として,意見を出し合いながら考えていきたい」とあいさつと説明があった.

  引き続き,自己紹介,計画の骨子案及び今後に期待することについての2点をテーマに約1時間のグループ討議が8グループで行われた.10分の休憩後,全体発表の中でそれぞれの会議進行役よりグループ討論の報告がされた.

  「条例がつくられ,これからどのようにこれを活かしていくのか」「周りの当事者自身がこの条例について知らない.もっと馴染みの持てる条例にしていかないといけないのではないか」「条例の周知の仕方を考えて欲しい」「今回の東日本大震災のことから,さいたま市でも避難所のバリアフリー化を考えるなど市の防災対策に条例を活かして欲しい」「市としてこの条例を周知するためにも積極的に教育や雇用の現場に入って条例のことを伝えていって欲しい」など,様々な意見が出された.どのグループからも,条例制定後の周知と実効性についての意見が出されていた.

  最後に,全体司会の平野氏より,「今日の意見は施策推進会議で検討し,12月の市民会議で検討の内容をまた伝える.条例を知ってもらうことで市民の意識を変えていきたい.この条例は全ての市民に関わることだということを知ってもらいたい」とまとめて,第1回目の市民会議は終了となった.

 私は市民会議に参加し,「条例をつくって終わりにしてはいけない」と感じた.市民への周知と共に,条例に基づいてよりよい暮らしの実現を図っていけるよう継続して参加していきたい.

(玉手 佳苗)

 

機関紙「やどかり」2011年11月号より

3.11東日本大震災被災地支援報告(宮城県女川町)

避難所から仮設住宅へ
長期化する避難生活の環境改善

 9月10日から18日まで,JDF(日本障害フォーラム)みやぎ支援センターの一員として,震災被災地である宮城県女川町に入り,支援活動に参加した.

  女川町は宮城県東部の海岸沿い,牡鹿半島中央部に位置する人口1万人の小さな町である.この震災では,住民の約1割が犠牲(死亡・行方不明)となり,人口に比して最も人的被害の多い市町村と言われている.

  津波による浸水は,海抜20メートルにも達し,漁港を中心とした市街地と,点在する浜の集落はほぼ壊滅した.基幹の水産業,水産加工業は休廃業に追い込まれ,全壊した町役場は高台の仮庁舎に移動している.

  山間の沿岸部という地形から,仮設住宅の建設用地も容易に確保できず,震災後6か月を経てもなお,避難所6か所に254人(9月18日現在)が避難所生活を送っている.苦肉の策として,全国でも初となるコンテナを活用した3階建ての仮設住宅を導入,10月末日には,要望する30団地1,264戸すべてが完成する予定だ.

  JDFみやぎ支援センターでは,生活の場が避難所から仮設住宅へ移行するのに伴い,仮設住宅への転居と,転居後に発生した「困りごと」への対応を重点課題としている.

  女川町では,町立病院や地域包括支援センター,保健センターなどと連携しながら,仮設住宅を訪問,ニーズの聞き取りとその対応
を行った.

  住民からのニーズは,通院や外出時のガイドヘルプ,仮設住宅内の手すり設置や玄関前の段差解消の踏み台,杖やシルバーカー等の福祉用具に対する要望など,日常生活上,すぐに支援を必要とするものばかりであった.

  過疎高齢化の進む地域でもあり,一人暮らしの高齢者も多い.仮設住宅の中で孤立しないための近隣との交流や,話し相手,健康相談,ホームヘルプサービスの提供など,取り組むべき課題も多い.

  仮設住宅は,立地,性能,広さ,いずれも災害救助法において規定された最低限度のものだ.車いすの幅より狭い玄関,段差の大きなユニットバス,歩きにくい砂利道道路など,設計上の問題点も多い.また,応急的・一時的・簡易的な住居と規定され,障害者や高齢者への配慮や,人間らしい暮らしの確保といった発想はない.

  入居期限は原則2年間.復興の現状を考えれば,期限は延長され,仮設住宅での生活が長期化するのは明らかだ.新潟中越地震で3年,阪神・淡路大震災では5年を要している.

  長期化する避難生活への補償や,暮らしやすさに配慮した仮設住宅への改修など,対応は後手に回っており,過去の震災の経験が活かされていないのが現実だ.

  津波の深い爪痕が依然として残る旧市街地,重機で積み上げられたがれきの山々,プライバシーのない過酷な避難所生活,先の見えない仮設住宅での暮らし,被災地の痛ましい現実を前に,待ったなしの活動,希望をつなぐ活動が展開されている.復興から取り残されそうな人々への支援は,いま始まったばかりである.

(宗野 政美)

 

機関紙「やどかり」2011年11月号より

やどかりの里大バザー

強いつながりを実感

 やどかりの里大バザーが,10月9日(日)に中川自治会ふれあい広場にて開催されました.今年はお天気にも恵まれ,開場前にはお客様の長い行列ができ,一日を通して大勢の方にご来場いただくことができました.

  雑貨や衣類売り場では,多くのみなさまに寄贈品のご提供をいただけたおかげで,テント内では収まらず,お客様によく品物を見てもらえるよう青空マーケットのように売り場を拡げ,賑わいを見せていました.模擬店は,地域からの出店が8店,内部からは6店が出店しました.昨年に引き続きオープン後すぐに行列ができる程人気の高い梨をはじめ,手の込んだカレーライス,チヂミなどの主食品や,わたあめ,豆乳プリンといった甘味ものまで,バラエティーに富んだ商品の出店となりました.

  また,お買い物やお食事の他にもより大バザーを楽しんでいただけるように,多くの方にご協力をいただきながら趣向を凝らしたイベントを開催しました.会場ステージでは,小槌会の和太鼓演奏でオープニングを飾っていただき,千葉の路上アーティストの生演奏,ヒップホップダンスチームのダンスパフォーマンスと会場を盛り上げてもらい,終盤には,豪華賞品付のビンゴ大会を行いました.その他,自治会自警消防団のご協力で,会場入り口に消防車を開放したり,会場向かいの畑をお借りして芋掘り体験も行い,ご家族連れの方をはじめ多くの方に楽しんでいただくことが出来ました.

  今年のバザーも,大変多くの方々に支えていただき開催することが出来ました.寄贈品をご提供いただいた皆様,総勢117名のボランティア,イベントや模擬店に参加し会場を盛り上げてくれた方々,お客様,その他,当日に限らず約半年の準備の間,大勢の方々にご協力をいただき,心より感謝しております.

  当日,参加していただいた方々にインタビューをし,「毎年楽しみに参加しています」,「地域と一体になっている」,「恒例行事になっています.楽しんでます」と,嬉しいお言葉をいただきました.やどかりの里が,地域の方と共に創られていること,地域の方にとっても活動のひとつになっていることを実感しました.

事務局より
  これまでバザーの準備に使っていたやどかりの里本館が昨年度取り壊しになり,準備の手順を大きく考え直さなければいけなかったことや,東日本大震災の影響もあり品物があまり集まらないのではないかなど不安もありましたが,地域の方々と出会えるこの機会を大切にし,みんなが笑顔になれるバザーにしたい,という思いで取り組んできました.天気にも恵まれ,期待以上の盛り上がりとなりました.本当にありがとうございました.

収入合計:2,043,865円
経費合計: 491,785円
収益 :1,552,080円
(平成23年10月21日現在)

 売上金は,エンジュ・援護寮の新築・移転,改修のための費用に充てさせていただきます.

(大バザー事務局 町田 絵里奈・若林 那津子)

 

機関紙「やどかり」2011年10月号より

小規模作業所You遊とルポーズが新たに歩みはじめます

喫茶ルポーズの改装工事が決定,
来年1月下旬に新装オープン予定!

 平成23年度第2回埼玉県自立支援基盤整備事業の交付が決定し,いよいよ喫茶ルポーズの改装工事が10月3日から始まった.

  この事業は小規模作業所が障害者自立支援法内への事業移行のために利用できる制度であり,職場環境の充実(スペースの確保)を目的とした改築・増築費用が交付される.この事業を活用し,@ 喫茶ルポーズの店舗部分(客席)を広くし,販売コーナーを設ける事,A これまで事務スペースとして利用してきた2階を,収益事業に活用するために客席と厨房を増設し,より充実した業務に取り組めるような店舗として設計,全面改装工事が実施される.

  様々な制度上の制約により紆余曲折を経ながらやっと改装にたどり着いた,というのが正直な感想である.中でも賃貸物件であるがゆえの契約の改定と,それにまつわる事業移行後の制度上の制約(スペースの広さや避難経路確保などの要件)の影響が大きく,担当行政との折衝とそれに伴う設計変更を幾度も繰り返しながらの交付決定であったので,その喜びは大きかった.

  これら制度上の要件をクリアするためと,その新制度へ移行した後の運営状況をふまえYou遊とルポーズが統合し,新しく1つの事業体として進むことを選択した.特にYou遊に関しては,手づくり雑貨の販売を中心に行ってきた事業を大きく転換し,これまでの店舗を閉め,喫茶店をベースにした事業に切り替える決断をしたが,さびしさとともに悔しい気持ちも抱いている.You遊が大宮区役所通りでオープンしたのが平成13年8月,現在の天沼町に移転してきたのが平成18年11月であり,今回の統合で3度目の移転となる.一度目の移転の時点から5年間をかけて小規模作業所の移行問題について議論を重ね,絶えず将来像を模索してきた私たちも,この統合を絶好の機会ととらえ,新しい場所で新しい仕事を新たに築き上げることを目的として進んでいきたいと考えている.

  一方で,喫茶ルポーズも5年前にリニューアルオープンして現在まで順調に事業を運営してきたが,この改装をした後「喫茶」を外して,喫茶事業だけではないということを意味しながら,「ルポーズ」という一つの事業体として,一丸となってオープンを迎える.この統合における経験を糧に私たちは前に進まなければならないし,確実に「いいもの,いい場所,いいこと」に結び付けなければいけないだろう.多くの働く従業員(メンバー)がいれば確実に向かっていけることだと思う.新しい「ルポーズ」にご期待下さい,みなさまのご来店,従業員一同心からお待ちしております.

※1階店舗スペースが広くなり2階席もできます.また,店内の一角が手づくり雑貨コーナーになる予定です.

(田中 学)

 

機関紙「やどかり」2011年10月号より

さいたま市退院支援事業の取り組み

事業終了を目前にして
5年間の成果を糧に,新たなチャレンジへ

 2006年度より開始された「さいたま市精神障害者退院支援事業」(以下事業)は,さいたま市保健所が中心となり,市内の精神科のある6精神科病院,各区の障害者生活支援センター,当事者と有資格者で構成される自立支援員等関係機関が連携し,長期入院者の退院,地域生活の定着を目指していく事業である.やどかりの里としても,市から事業委託を受けて取り組みを進めてきた.
  この事業は今年度で最終年である.これまでに本事業を利用した方はのべ70名,うち33名が退院をした.そして最終年の現在,30名の方が退院に向けて,関係者とともに取り組んでいる.

新たな試み〜見学会と交流会〜
  最終年である今年度は30名という事業利用者数と自立支援員の仕事量などから,これまでの支援態勢の変更を余儀なくされた.そこで個別支援に加えてグループでの働きかけができないのかと考え,援護寮やグループホームの見学会,事業利用者の交流会の導入を試みた.見学会は数回にわたって事業を利用して退院された方や援護寮利用者,グループホームの入居者の協力をえながら実施された.援護寮見学会では,エンジュのお弁当を食べながら,病院の垣根をこえてそれぞれの病院の食事内容等を話す参加者の姿が見ることができた.病院スタッフからは,資源の利用を前提とした見学ではないせいか,入院者の参加を促しやすい等といった声をいただいた.
  また,9月20日には第1回目の事業利用者交流会が保健所にて開催され,5精神科病院から17名の参加があった.4つのグループに分かれ,初めに自己紹介をした時には,緊張感が漂っていた.しかし,グループ対抗のクイズ大会を進めていく中で,わかっている答えをぐっとこらえて言わずに,参加者の発言をうながす自立支援員の配慮もあって,徐々に打ち解けていく姿がみられた.クイズ大会で和んだ後の茶話会はあまり時間がとれず,もう少し話をしたかったという声が聞かれるほどで,開催前に,沈黙してしまったらどうしようと心配していたことが全くの杞憂に終わったと言える.最後に参加者から「退院よろしく」と発言があり,支援者としてはとてもうれしく感じると同時に気持ちが引き締まった瞬間であった.
  これらの新たな試みはこれまでの丁寧な個別支援とは異なる2つの視点が含まれていると気がつく.1つは,個別のかかわりだけではなくグループの力を活かすというものである.そして2つ目は,これまでの病院の扉を開けて中に入ってかかわり,支援をするということだけではなく,病院から出てきていただいたところでかかわりをもつという視点である.丁寧な個別支援にグループ,病院に入っていくことと出てきてもらうこと,それらが有機的に作用する時,支援はより豊かになる可能性を秘めているのだろう.

今後に向けて
  退院支援事業は今年度が最終年である.残りの半年をかけて,これまでの活動についての総括をすすめていく.同時に,現在,事業を利用している方への支援をどのように継続していくのか,ともに退院支援事業に取りくんだ当事者の自立支援員の雇用をどうすうのか,検討すべき課題は山積みである.

(松原 玲子)

 

機関紙「やどかり」2011年10月号より

3.11東日本大震災 被災地支援報告

震災から5か月,
1人1人に合わせた配慮や支援の大切さを実感

 先月号に引き続き,日本障害フォーラム(JDF)が行っている東日本大震災被災地支援活動に派遣された2名の報告を行う.

安心・安全な暮らしへつなげる支援
  8月13日〜21日で,拠点を涌谷町に移したみやぎ東部支援センターの立ち上げと態勢づくりに携わった.主に事務局の活動として,支援員の訪問調査終了後のデータ入力,ニーズの整理,生活環境の整備などを行った.
  みやぎ東部支援センターでは,石巻市と女川町を中心に支援を行い,「介護用の靴が欲しい」,「毛布が欲しい」などの物的支援,「移動手段がないので手伝ってほしい」「自宅があるけれど食事の確保ができずに避難所にいる」などの人的支援が求められていた.物的支援は物の確保ができれば支援は終結するが,継続相談,日常の生活相談については支援者が変化する一時的なJDFの支援でどこまで支えていくのか…と考えることも多かった.
  障害のある人が安心・安全に暮らせるための態勢を整えていくことが全ての住民にとって安心・安全な暮らしにつながるのではないかと実感した.
(玉手 佳苗)

宮城震災支援活動に参加して
  8月20日〜28日の9日間,JDFみやぎ北部支援センターへ赴くことになり,主に宮城県の沿岸部にある南三陸町にて活動することになった.活動内容は障害者支援事業所再開のための支援.避難所,仮設住宅で生活する障害のある人の状況把握および支援.諸手続きや物資調達の対応である.私は社会資源調査,夏休み中の障害児の余暇支援,グループホームの移送支援を行ってきた.
  社会資源調査では仮設の立地等を調べ,課題提言の調査と情報チラシ発行のための取材を行った.他県から派遣された職員とチームを組み,南三陸町や隣の登米市に点在する仮設を50か所ほど回った.仮設で暮らす人たちの声として「買い物や通院するのに遠くなって困る」「風呂場が狭すぎる.足が不自由なため浴槽に入ることができない」「仮設では近所の人と縁側越しに話ができない」「地元住人との間に隔たりがある」「とにかく仕事が欲しい」海辺の街らしいなと思ったのは「窓が小さすぎて海が見れない.気が狂いそう」など避難所から開放された今でも心が晴れない暮らしぶりの一端を聞いた.震災から5か月,暮らしを立て直すためには建物だけでは足りず,それまでの生活習慣や人との繋がり,疾病や障害に合わせた配慮が重要なことを感じさせられた.
  事務局長からは「地元の福祉機関や行政機関の担当者は自身も被災者であり疲れ切っている.地元の人たちのペースを乱すことは断じてやってはいけない」と話があった.これは重要な示唆であった.後日グループホームの責任者からは,「避難所暮らしにおいて支援物資や食料が大量に届いたため,それまで利用者と共に築いてきた生活のリズムや,金銭の自己管理が一気に崩れてしまった」との話を聞いた.その落胆ぶりは悲痛で支援者が地元の人を追い詰めたことに悔しさを感じた.
  もちろん暗い話ばかりではない.前向きに生きる地元の人たちや,やる気に満ちたJDFの仲間たちと貴重な出会いがあった.
(鈴木 恵)

 

機関紙「やどかり」2011年10月号より

第3木曜会

年に一度,活動の足元を再確認した里祭

 9月15日(木)会館ホールにて里祭が開催された.里祭は,やどかりの里が社団法人として活動を開始したことを記念して,毎年開催される.今年は約70名が参加した.

第1部 「やどかりの里と私」

 前半は,入職3年目の職員3名とメンバー3名に,やどかりの里(以下,里)に出会う前のこと,出会ってからのこと,大切にしていることなど,それぞれの体験や思いを語ってもらった.
  谷山貴志さんと若林奈津子さんからは,二人の出会いとグループホームでの関わりについて,常に話し合いを重ねながら必要な支援を考え,試行錯誤を繰り返してきたプロセスが語られた.そんな中,谷山さんが脳梗塞を発症.これまでのように思うように体が動かないもどかしさや,不安の日々を送る中で,「多くの人に助けられ頑張れた.里に来て3年.初めて落ち着いた暮らしをしている」と語られた.若林さんは,谷山さんと共に歩いた日々を振り返り,「人により,また同じ人でも状況の変化により暮らしに必要なものは異なる.その都度一緒に考えていきたい」と語っている.
  同じくグループホームで暮らす高橋操さんは,30年の入院生活を経て,共同生活型グループホームみなみハウスに退院して1年近くが経つ.「不安はあったけれど今は色々できる.1人でいるよりみんなでいる方が楽しい!」と笑顔で話す一言から喜びが感じられ,フロアからは自然と拍手があがった.高橋操さんがみなみハウスに来るようになった頃,町田絵里奈さんもグループホームの職員として関わり始めた.「当初は何をしたらいいか分からなかったが,高橋操さんの頑張り,取り組みを見て,自分を奮い立たせた.みなみには高齢の入居者も多い.歳を重ねる毎に失うこと,諦めることが増えるが,やりたいことをやれるように手伝っていきたい」と力強く語った.
  黒須正通さんと高橋奈央さんはエンジュで一緒に配達に行っている.エンジュで働き始めて共に3年目を迎える現在,黒須さんは「充実していて,色々やりたいこともある.ずっとエンジュがあって欲しい」と話す.高橋さんは入職して3年目を迎え,気がつくことが増え,内容の濃い時間を送っていること,エンジュ新築・移転に向けて,盛り上げていきたいという意気込みを語ってくれた.

第2部 おいしい食事を囲んでの交流会

 後半は,ルポーズのおいしい食事を囲んでの歓談.里祭は,久々に顔を合わせて再会を喜ぶ機会であり,新たに里の活動に加わった人たちが顔を合わせる機会でもある.特に今年は,会館ホールで開催する最後の里祭という事で,普段は活動から遠のいている仲間も多く集まり,昔を懐かしみ,話し声がつきない楽しいひと時となった.
  今年の里祭で語られた6名の方の話を聞いて,フロアにいた誰もがどこか自分の暮らしや活動と共感できる部分があったように思う.今年は障害者自立支援法への事業移行ラッシュを迎え,公益法人への移行も行われる.日々進んでいく活動の中,年に1度の里祭は見失いがちな大切なことを立ち止まって,みんなで確認できる,そんな時間だと感じた.

(阿部 友恵)

 

機関紙「やどかり」2011年9月号より

一方通行の思い

民主党議員との意見交換会を終えて

 2011(平成23)年7月28日,参議院議員会館にて,民主党障がい者政策プロジェクトチームと自立支援法違憲訴訟原告団弁護団との意見交換会が130名余りの参加者のもと行われた.15時半から16時半までという限られた時間の中,東日本大震災や総合福祉法への取り組みの報告,そして意見交換というひじょうに内容の詰まったプログラムであった.

  今回の意見交換会は,障害者自立支援法違憲訴訟団と政府とで結ばれた基本合意文書で謳った定期協議に代わるものではない.しかし,政権与党に対し改めて原告団・弁護団の思いを伝える貴重な場でもあった.

  意見交換の場ではやむにやまれず違憲訴訟に立ち向かった元原告からの,悲痛な訴えがあった.障害のある人の権利を無視した自立支援法が,どれほど当事者を苦しめてきたのか.そして違憲訴訟で得た基本合意文書の内容を踏まえ,当事者の尊厳を守った新法制定に尽力して欲しいという願いにあふれていた.私はこれまで障害者自立支援法の反対運動に実際に関わったことがないが,この元原告の方から語られる違憲訴訟への取り組み,新法への期待等聞いていく中で,障害者施策を根底で支えている運動,そして基本合意の重みを強く感じた.意見交換会開会前の打ち合わせでは,元原告から「基本合意を結んだのは,結果的に失敗だったのではないか」と率直な意見が出され,障害者施策を取り巻く現状への不安をにじませた.この発言を受けた竹下弁護団長は「基本合意は大成功と言わざるを得ない.基本合意がなければ,この1年半の間に障害者基本法の改正,総合福祉法における議論や骨格提言も世に出てこなかった.この基本合意に,私たちの運動は支えられてきた」と答えた.意見交換会当日の午前には,障害者基本法改正案が参議院内閣委員会で可決,翌日の参議院本会議で可決,成立した.また8月30日には障害者総合福祉法(仮称)の骨格提言の取りまとめが行われている(本紙1面参照).

  2010(平成22)年1月12日に障がい者制度改革推進会議が内閣府に設置され,障害者基本法改正や新法となる障害者総合福祉法(仮称)制定に向けた議論など,この1年半の間に障害者施策はさまざまな拡がりを見せた.
  
  しかし,今回原告団から新法となる障害者総合福祉法(仮称)への期待が語られる一方で,民主党議員からの発言は谷座長のみ.発言の中には「基本合意の内容も踏まえ,総合福祉部会でのまとめを尊重しながら法改正に向け努力したい.しかし,どう金を工面するか,社会保障全体の改革の中で皆さんと共に考えたい」と発言した.その谷座長の発言から,真に障害のある人たちの権利を主体とした新法制定が実現するのか不安に駆られた.原告団・弁護団の思いを届ける意見交換会であったが,民主党議員がそれを受けとめ,どう対峙していくのか,疑問が残る会であった.

(萩ア 千鶴)

 

機関紙「やどかり」2011年9月号より

3.11東日本大震災 被災地支援報告

迅速に継続的な復興支援が重要

 3月18日,日本障害フォーラム(JDF)は東日本大震災障害者総合支援本部を立ち上げ,やどかりの里からもこの5か月,職員をみやぎ支援センター,きょうされんの設置してる岩手県の拠点に派遣してきた.
  みやぎ支援センターは8月15日から新たな拠点を東部(涌谷町)に立ち上げ新体制になった.東部センターが石巻市,女川町,北部センター(登米市)が南三陸町,気仙沼市を中心に支援にあたる.
  以下,支援員として派遣された2名の報告である.

いきいき働くメンバーと時間を共有して
  7月16日〜24日まで,みやぎ北部支援センターを拠点とした現地支援に参加した.同センターが担う地域は,南三陸町や気仙沼市など7市町で,宮城県内でも特に震災の被害が大きい地域である.
  私は,石巻市にある「夢見の里」という事業所の活動に加わった.「夢見の里」では,グループホーム3か所が倒壊し,利用者が避難所で生活を余儀なくされていた時期があるなど,さまざまな形で震災の影響を受けている.また,震災の影響でこれまでやっていた作業もなくなってしまったという状況も抱えている.
  現在の主な作業は,石巻市にある水産加工業者の缶詰の洗浄作業であった(物資が届くまでの間,避難した人たちの貴重な食糧となった缶詰で,通称「希望の缶詰」と呼ばれてる).
  私が活動に加わった時には,まだはじめて間もない作業で,メンバーも職員も手さぐりの状態だった.それが,共に過ごす数日の間に,それぞれが自分の得意な作業を見つけ,役割の中で生き生きとしていく,そんな時間を共有した.
  今回の大き過ぎる震災の影響に,ふと,「たった1週間で何ができたのだろう……」という思いがよぎる.一方で,出会った方々から,「今回感じたことを(自分の地域に戻ったら)周りの人に伝えてほしい」と言われたことが印象に残っている.帰ってきたら終わり,では決してなく,埼玉という自分の地域で,継続してできることをしていきたい.   (長谷川 健一)

復興支援のバトンをつなぐ
  8月6日〜14日までみやぎ支援センターに派遣された.5か月経ち「少しずつ復興が進んだ」とはいえ,道路脇の瓦礫,臭いなど,衝撃の光景だった.
  私は,福島県の県境にある山元町の「工房地球村」という地域作業所の支援,被災者のニーズ対応にあたった.地球村は,精神科医療機関のない山元町にとって,作業所と地域生活支援の重要な役割・機能を担っている.
  今回建物には大きな被害はなかったが,職員1名が死亡,メンバー・職員も家族を亡くしたり,家屋が流されたりと大きな被害を受けた.そうした混乱のなか,ご自身も被災した所長が避難所のメンバーを訪ね歩き,支え合うメンバーの姿に動かされ,閉鎖を余儀なくされた地球村を5月9日に再開させた.JDFも開設準備から関わり,一定落ち着いたことから,8月11日で支援は終結した.JDF支援員40名以上が支援のバトンを引き継いできたことの重みを感じた.また,メンバー・職員・ボランティアの皆さんが,辛い経験にも関わらず震災の体験を語り,励まし合う,何気ない笑いや心遣いがとても暖かく,作業所再開の意味を実感した.
  ニーズ対応では,津波に服を流され下着もない,義足が流され仮設住宅で介護ベットが必要など,どなたも緊急性の高いニーズであった.今困っている人が多く,日常の生活を取り戻すにはまだ時間がかかると感じた.
  まだ実情やニーズは掴めず,支援の情報が届いていない人も多いなか,迅速な継続的な支援が求められている.

(木村 千夏)

 

機関紙「やどかり」2011年9月号より

さいたま市精神保健福祉地域ネットワーク連絡会報告

真の権利擁護につながる条例にするために

 さいたま市保健所を会場として,8月23日にさいたま市精神保健福祉地域ネットワーク連絡会(以下,連絡会)が開催された.この連絡会は,障害のある人が安心して生活できる地域づくりを目指し,@ 障害のある人たち,家族の願いや思いを中心にすえ,安心して暮らせる地域となるよう,関係する人たち(機関)が顔の見えるネットワークをつくること,A 障害のある人がどのような状況にあるのか,施策に反映できるように学習の機会を持ち,たくさんの「声」を出し合える場とすることを目的として2005年から取り組みが始まり,2009年から「さいたま市障害者福祉総合支援計画」(以下,障害者計画)の重点プログラムに位置付けられ,年2回の活動を継続している.

 今回の連絡会では,2012年度よりスタートする次期障害者計画に向けて実施された障害のある人へのアンケート調査の結果と,今年度より施行された「さいたま市障害者の権利の擁護等に関する条例」(以下,条例)についてさいたま市障害福祉課からの報告が中心となった.
  国では,今年7月に障害者基本法改正案が成立し,現在は,障害者権利条約と,障害者自立支援法違憲訴訟に関する基本合意文書を基礎にした障害者自立支援法に代わる障害者総合福祉法の骨格提言が総合福祉部会にて示されている.障害者基本法改正により,障害の定義が広がっていること,障害のある人が保護の客体から権利の主体として規定されたという国レベルでの大きな変化が起こっている.そのような状況の中,先駆けて施行されているさいたま市の条例は,国の障害者基本法よりも水準が高いとも言われ,全国的にも大変注目されている内容である.
  しかし,連絡会での報告からも,条例についての周知がまだまだ進んでいない実情が触れられ,今年1年かけて広く一般市民にも条例について伝えていくのがさいたま市としても至上命題となっている.また,障害者計画に向けてのアンケート調査結果からは,障害のある人を支えている多くは家族であり,家族の負担軽減を図ることが急務の課題であることが見て取れる内容であった.
  全体で70名余の参加者で行った後半のグループ討議では,「障害のある子どもと暮らしている高齢の親が,しつけと思い,結果として言葉の暴力に至っている」「相談できる相手がいない家族が,悩みながらも障害のある子どもに対しネグレクトと思われる行動をとってしまっている」など,各機関より虐待と思われる事例などが報告され,家庭内に抱え込まなければならない状態が地域には顕在化していることが確認された.家族が抱え込まなくていい支援体制を,地域のしくみとしていかにつくっていけるかという課題も浮き彫りになった.家族以外の人とのつながりをどうつくるか,虐待などに至らない,未然の手立てをどうつくるか,私たち1人1人に問われている大きな課題である.

 連絡会の強みは,障害のある人や家族,様々な機関が見えている地域の実態から議論を積み上げてきた点にある.今年6年目を迎え,参加者のアンケートからは,つながるネットワークから活動を創り出すネットワークへの転換が求められていることが伺える.これまで積み重ねてきた議論を,条例施行を踏まえ,さいたま市のしくみとして生かしていくことがこれからの連絡会に求められている.

(渡邉 奏子)

 

機関紙「やどかり」2011年8月号より

労働支援の現場から

働く場の事業移行問題を考える

 7月1日,作業所「あゆみ舎」が働く場の先陣を切って就労継続支援B型(非雇用型)事業所に移行した.これまで,援護寮やグループホーム,生活支援センターが障害者自立支援法に基づく事業へ移行している.移行期限となる平成24年3月末までに,やどかりの里の働く場も全て,事業移行をする予定だ.
  働く場の事業移行に,どんな問題があるのだろうか.やどかりの里の働く場が,移行期限ぎりぎりまで事業移行に踏み切らなかったのはなぜか,報告したい.

さいたま市内の小規模作業所の現状
  7月19日,さいたま市障がい者施設連絡会の総会が開催され,議題の1つとして,さいたま市への要望書について議論がなされた.
  これまで小規模作業所は,職員配置1.5人で15人の登録者の働くことや生活を支えてきた.作業所は,地域活動支援センター(以後,地活)に移行するように想定されている.移行の要件は,「1日平均10人以上が利用すること」である.これが大きなハードルになっている.自治体の裁量で利用者の実数を緩和する地域もあるが,さいたま市は要件を未だ緩めようとしていない.
  地活移行への要件が満たせずに,就労継続B型に移行しようとする動きがある.しかし,面積基準として,利用者1人当たり3.3uの作業室を確保,職員を増員,利用者負担等,より多くの課題をクリアしなければならず,移行する目途が立たない作業所が出ている.
  施設連絡会として,市内の全ての作業所が移行できるまでは,現行の制度を残すよう要望することになった.

事業移行に伴う多くの弊害
  やどかりの里も,働く場である作業所,授産施設,福祉工場が,それぞれ就労継続支援B型・A型(雇用型),就労移行支援に順次移行していく.期限ぎりぎりまで,移行を延ばしていた理由は,障害者自立支援法そのものに対する反対表明である.利用料の徴収や画一的な労働観への憤り,実態に合わない日額払いの事業所報酬制,それによる運営の危機があげられる.
  メンバーの利用料については当面,軽減措置があり,実質的な負担は0円となる人が多い.しかしながら,少人数ではあるが,軽減措置があっても日額約600円の利用料を負担するメンバーがいる.そして,当然ながら軽減措置がなくなれば,大多数のメンバーに負担が発生する.社会福祉に応益負担を持ち込む,本質的に間違った政策だといえる。 
  事業所報酬は,これまで年間一定額が施設に支払われる制度であった.これに対して「日額払い」は,利用に対して支払われ,1日に何人のメンバーが働いたかで,事業所のその日の報酬が決まる.1日10人働いた日より,20人働いた日は2倍の報酬.年末年始など事業所を閉める日は利用者が0人だから報酬はなしとなり,その月の報酬は激減する.健康を保って働くことを大事にし,1人1人の働くペースや休みを保障すると,事業所の報酬は下がる.これが新しい実利用による日額払いの仕組みだ.
  また,就労継続支援B型の利用要件に,「就労経験があること」というのがある.働いた経験がないために,利用が認められないという事態も起きている.若年で発病して就労経験がない,障害が重く長期的に療養中であった等の事情を鑑みることがない.やっと作業所に通えるところまで回復した人に,その作業所に通うことを保障しないのである.

 やどかりの里の働く場すべては,一旦,自立支援法下の事業所になるが,障害のある人達の働く権利を保障できる事業所を目指していることに変わりはない.障害者自立支援法に代わる総合福祉法の動向を注視しながら,実践を重ねていこう.

(檜山うつぎ)

 

機関紙「やどかり」2011年7月号より

6.25 全国一斉署名活動報告

広げよう!つながりの輪

 6月25日(土)13時〜15時,大宮駅西口ぺデストリアンデッキにて全国一斉署名活動が行われた.当初,3月25日に行われるはずであった全国一斉署名活動は,3月11日に発生した東日本大震災によって延期となっていた.しかし,復興支援の中で,生活や仕事を取り戻すとともにこころの健康へのニーズが一層高まっている状況が明らかになってきており,再度,こころの健康政策構想会議で緊急提言したこころの健康推進を進めていくことが重要と確認し,今回の開催が決定された.

  当日は,天候の悪さが懸念されていたが,終了間際まで雨もなんとか持ちこたえ,署名活動に取り組むことができた.大宮駅西口ぺデストリアンデッキの全体を使用し,当事者,家族,施設関係者,医療関係者,学生など190名の参加者が集まり,とても大きな活動となった.署名活動は,チラシを配る人・署名用紙に記入してもらう人・旗を持ち呼びかける人の3人1組で行った.それぞれの参加者が思い思いのメッセージで呼びかけを行い,皆が一丸となって活動に取り組んでいた.また,配布するチラシが足りなくなる程,行き交う人の数は多く,署名用紙に記入して頂くことはもちろん,チラシを受け取ってもらうことで,多くの人に今回の活動を知ってもらうことができたのではないかと感じている.

  当日参加したメンバーの佐藤卓司さんは「署名活動は,自立支援法に引き続き2〜3度目.以前は,チラシを配っても全然取ってくれなかったが,今回はチラシを受け取ってくれる人が多かった.途中までの参加となってしまったが,充実した活動だった.“こころ”と言われると良く分からないが,精神疾患が正しく理解され,国の重要政策になればいいなと思った」と語っている.また,他の方からは,「足を止めて,耳を傾けてもらうのはなかなか難しかったが,積極的に署名をしてくれる方もいて,こういった活動がどんどん広がっていくと良いと思う」「今回の全国一斉署名活動を通して,多くの方と触れ合うことが出来た.呼びかける難しさもあったが,署名活動に参加することができて楽しかった」などの声が聞かれた.

  今回の署名活動は,埼玉県だけではなく,28都府県46か所での一斉署名活動という今までに無い広がりの輪を見せる歴史的な活動となった.大宮駅では,800筆を越える署名数を集めることができた.

  チラシ配布や呼びかけを行う中で,「自分には関係のないこと,興味のないこと」と関心のない人々がまだまだ多くいると感じた.だが,こうした活動を継続的に行い,発信していくことで,多くの人々に関心を持ってもらうきっかけにもなるのだろうと思う.これからもつながりの輪を広げていく活動を続けていくことが大事であると改めて感じた1日であった.

(大庭 美聖)

 

機関紙「やどかり」2011年6月号より

こころの健康を大切にする社会の実現を!

6.25全国一斉街頭署名

こころの健康を守り推進する法を我が国の基本法に!
  「こころの健康を守り推進する基本法」の制定を求めて,2011年7月「こころの健康政策構想実現会議」が発足した.その運動の1つが全国規模で取り組んでいる「100万人署名推進」である.その最中の3月11日,未曾有の東日本大震災が発生し,多くの方が家族や友人,日々の暮らしを瞬時に失った.原発事故により住み慣れた地域を離れざるを得ない人たちも大勢いる.震災から3か月が過ぎ,被災地の復興が少しずつ進むなか「からだの健康」と「こころの健康」を守る保健・医療・福祉がいかに生活基盤を支えていたか,こころの健康にまつわるニーズが明らかになった.こころの健康政策構想実現会議では,大震災のあった3月に「からだの健康,こころの健康,日々の暮らしに代表される地域生活の全体について,支援者が地域住民のもとに出向き,必要とされている支援をその場で提供する(アウトリーチ)」という復興を進めるための支援の在り方を緊急提言した.この「こころの健康を守り推進する基本法」は,平和な生活を実現する基礎となるだろう.

全国から届く署名を集計
  「こころの健康を守り推進する基本法」の制定を求める運動「100万人署名推進委員会」の事務局がやどかり情報館にある.署名用紙を全国各地に発送したり,届いた署名を整理したりする仕事を行っている.やどかり情報館には,毎日多くの署名が送られてくる.署名に添えられた我が子を思う母の思いや激励の言葉に,成功への思いが高まる.
  届けられた署名用紙の集計作業を4月16日,5月14日にやどかり情報館で行った.埼玉県内や東京都内の家族会の方々を中心に精神障害当事者,医師,施設職員など50名近くが集まっての作業になった.署名用紙を数え穴を明け綴じる,「〃」や「同上」の記入を修正するなど,朝から夕刻まで休むことなく行われた.5月14日の17時,集計353,812筆が確認された.その後も段ボールに詰められた署名が全国各地から事務局に届いている.

全国に広がる運動の輪
  3月21日に予定していた全国一斉街頭署名は,東日本大震災で延期になった.4月下旬ごろから西日本の方々から街頭署名の再開を求める声が高まり,「100万人署名推進委員会」で検討し,6月25日に実施が決まった.
  各地で準備会が立ち上がり,家族会,福祉団体,医療関係者,市民など幅広く積極的に参加している.同じ日に一斉に,精神障害のある人自らが街頭に立ち,医師や家族,福祉職員らが立場を超えて「こころの健康はみんなの問題である」と訴える.現在,29都道府県47か所で,千数百名が参加することになっている.これは,これまでの精神保健福祉運動の歴史では画期的なことである.この取り組みが今後大きな国民運動になっていくことを期待している.

埼玉県の方は,大宮駅に集合してください.
場所 大宮駅西口コンコース
時間 13:00〜15:00
当日飛び入り参加も大歓迎です.

 

機関紙「やどかり」2011年6月号より

3.11東日本大震災

被災地支援報告 繋げる復興支援
〜安心,安全な街づくりに向けて〜

 2011年3月11日の東日本大震災で被災した障害のある人たちへの支援協力を目的に,やどかりの里から宮城県のみやぎ支援センターに5名,岩手県宮古市の拠点に2名,福島県での支援会議に2名を派遣してきた.被災地の状況や支援内容などについて,実際に支援活動をした職員の声を元に報告をする.

ひとつひとつ情報収集を積み重ねる
  3月29日から宮城県に入る.他県から派遣された十数名と,みやぎ支援センターの開所式,深刻なガソリン不足であったため支援活動に必要なガソリン供給態勢づくり,1週間交代で支援者が入れ替わりながらも継続した支援活動ができるための仕組みづくり,関係機関との連携の態勢づくりなど,みやぎ支援センターの基盤整備から始まった.そして,2〜4名でチームを作り,担当の市町村を分担し,役所や役場の障害支援担当者を訪れ,被災後の実態や,避難所の場所などを確認した.しかし,被災直後の混乱の中,障害のある人の実態を把握している市町村は少なかった.早々に保健師が全戸訪問を始めている市町村もあった.我々は,避難所や障害者支援施設を周り,障害のある人の実態把握に努めた.被災地を周ると,震災による惨状は言葉にならなかった.津波で流失や崩壊している施設も多く,利用者や支援者は避難できたのか,今どうしているのかなどの情報収集を進め,その中で物資提供など今できる支援を行った.それは,暗闇の中で探し物をするような感覚であったが,積み重ねる中で,状況が少しずつ見えてきたところであった.

「元の生活に戻る」ことを目指して1歩1歩
  岩手県宮古市の拠点でも支援活動が始まり,4月16日より派遣を開始した.ここでは,支援拠点の基盤整備と並行して,特に被害の大きかった,山田町,大槌町,釜石市を中心に,支援を必要としている事業所や障害のある人の情報を収集し,訪問や同行支援など個別具体的な支援から始めた.ひとつの情報を頼りに手繰り寄せていくような活動であった.岩手県では,別の障害者団体も独自に支援活動を進めており,週2回開催される岩手合同プロジェクト会議にて各団体で情報共有し,連携して進めていくことが重要である.避難所では,数百人が肩身を寄せ合って暮らし心身両面で疲弊している姿があった.衛生面も含め劣悪な環境であることを肌で感じた.「とにかく住む所がほしい」という声を多く聞き,仮設住宅の整備は急務であると感じた.

 震災から時間が経過し,復興も自治体によって格差が出ている.日常の繋がりがなかった人ほど安否確認が難しいという.やどかりの里として,被災地支援に取り組んでいくことと併せて,さいたま市において,支援を必要としている人に支援の手を届けること,そのために必要な支援の仕組みづくりをすること,日常的に地域の人たちとの繋がりをつくっていくことが,人が生きていく上で欠かせないセーフティーネットを紡いでいくことになることを,この大震災で改めて学ばされた.

(大宮中部活動支援センター 鈴木 裕貴)

 

機関紙「やどかり」2011年5月号より

3.11東日本大震災ドキュメント

その時,あれから,やどかりの里では……

 2011年3月11日14時46分頃,別館1階の事務所では,ミシッという音とともに強い横揺れを感じた.いつもの地震にしては長く,パソコンラックや本棚がガタガタと揺れた.インターネット速報を見ると,宮城県沖震源,最大震度6強という表示が目に飛び込んだ.だが,この時はすぐ後に三陸沿岸を飲み込む津波がやって来るとは思いもしなかった.
  やどかりの里の活動も,大震災の影響を大きく受けた.地震当日はメンバーの安否確認と帰宅経路の確保に苦心し,その後も計画停電,ガソリン等物資の一時的な供給不足等々,これまでに経験したことのない事態に対処している.
  ここでは,地震当日からその後の混乱期を,やどかりの里の各拠点ではどのように過ごしたのか,現場からの報告を元にまとめた.

地震直後はメンバーの安否確認から
  各部署ともに,すぐにメンバーの安否確認とラジオでの情報収集を始めたが,固定電話も携帯電話もなかなか繋がらなかった.
  援護寮2階ホールではパソコン教室の最中だったが,食器棚やテレビなどを皆で押さえた.宿泊者は職員の誘導で一旦外へ避難した.その夜は続く余震に落ち着かず,2階ホールで過ごす人も多かった.
  緊急時の対策本部となっているやどかり情報館では,地震の揺れで動き出した公用車や,印刷後の積み上げられた紙をスタッフが支えた.書籍の在庫棚が倒れたり壊れたりもした.また,鉄道が不通になったため,宮城県から研修に来ていた方が帰宅できず,その後2日間やどかり情報館に宿泊してもらった.
  見沼区障害者生活支援センターでは,ガラス戸が大きな音を立てて揺れたが,被害はなかった.大宮東部活動支援センター(以下地活センタ―)でも大きな被害はなく,揺れが
収まった後は「自宅が心配だから家に帰って様子を確認したい」「実家に連絡を取りたい」と,すぐ帰るメンバーが多かった.
  ドリームカンパニーでは,店内にいた職員・メンバーはお客様と共に外に出た.地震後店内に戻ると,2階に立てかけてあった長机が階段を滑り落ちていた.なす花は職員が外出しており,ベテランメンバーの声かけで物の多い作業室から休憩室へ移動した.
  エンジュでは厨房のコンロの火を消し,玄関,窓を開け,帰りかけていたメンバーを呼び止めた.厨房に大きな被害はなく,調理途中の食材は,余震の合間に調理した.また,
市社協からは通常通り配達ができるかどうかの連絡が入り,対策本部からの指示で利用者の安否確認も行いつつ配達し終えた.
  大宮中部活動支援センターには地震発生時8人のメンバーが来所していた.皆すし詰め状態でテーブルの下に潜り,励まし合って過ごし,地震後に逃げ込んでくるメンバーもいた.
  喫茶ルポーズは食器が20枚ほど落下し,すぐに営業を停止.来店中のお客様は店外に避難した.あゆみ舎はすぐに作業を終了した.作業所マンション外壁にひびが入っていたが,他に被害はなかった.You遊は商品が少し落ちただけだった.
  グループホームでは,地震直後に電話や訪問で安否確認をし,全員の無事を確認した.しかし,テレビがずれて窓ガラスが割れたり,浴室の壁が剥がれる,浴槽が移動するなどの被害があった.
  まごころでは厨房の火を消して外へ避難した.事務所の書類の山が崩れ,蒸し器の水がこぼれたが,被害はなかった.自転車通勤のメンバーは余震の合間を縫って帰宅した.さらに,翌日に予定していた三浦半島への日帰り旅行の中止を決定した.
  浦和区障害者生活支援センターでは,電話で安否確認できたメンバーは,皆驚きはしたようだが,冷静に対応していた.浦和活動支援センターでは,棚の上のスピーカーなどが落下した.食器棚もかなり揺れた.

緊急時の対応を再検討
  いくつかの部署では,電車が止まってしまい帰宅できないメンバーがいたため,職員が車で送ったが,中には大宮駅で足止めされ駅構内で一泊したメンバーや,作業所に泊まったメンバー,徒歩で帰宅したメンバーもいた.
  地震から1週間後の第3木曜会では,緊急時のメンバーの帰宅経路や宿泊場所,連絡手段の確保という課題が挙げられた.
  部署によっては地震後にメンバーの緊急時の連絡先を再確認するなどの対応も行い,緊急対応マニュアルや防災計画も再検討した.

計画停電・物資不足への対応
地震後は,計画停電や一時的な物資不足への対応が続いた.特に停電については,停電日時が不確定な中での対策が必要だった.停電時は電話も繋がらず,電話関連機器は電気の供給が戻った後の復旧作業が必要になった.やどかり情報館にサーバを置く財務管理システムや,印刷機など精密機器は,予定時間前に電源を切るなどの対応を迫られた.
  食事サービスを行っているエンジュ・まごころでもさまざまな工夫が必要になった.電器類は停電時間を予測して使い,職員やメンバーの出勤時間も調整した.物流の不安定さや買い占め,原発事故による野菜類への不安など,献立にも苦労した.どちらも予定通り停電があり,それでもエンジュは1日も休まず,まごころも14日(月)のみ臨時休業しただけで,翌日からは通常営業を行った.このことは,夕食サービスを利用しているメンバーにとっては,食生活と安心の大きな支えになった.
  しかし,地震後2週間ほどの間はガソリンの供給が少なくなり,宅配用の車をはじめ公用車の給油が難しくなった.開いているガソリンスタンドの情報を交換し合い,比較的給油しやすかった都内在住のスタッフが公用車に乗って帰って給油した他,自宅が近い職員と乗り合わせて出勤したり,市内はもとより長距離を自転車通勤する職員もいた.

余震と停電に不安が募る
  メンバーの間には,続く余震や停電への不安が広がり,「いつ停電するかわからないので入浴ができない」という訴えもあった.作業所では「出勤したい」というメンバーに,停電時の電車運行状況がわからないために自宅待機してもらうこともあった.
  生活への不安も募った.一時,スーパーやコンビニの棚がガラガラになり,食料品や日用品が買えないメンバーもおり,援護寮のトイレットペーパーを売ってくれないかという問い合わせもあった.停電時の不安が強かったため,懐中電灯を貸し出した部署もあった.

被災地派遣,避難者への施設提供
きょうされんを通じて被災した障害のある人たちの支援のため,4月20日現在合計5名の職員を交代で宮城県と岩手県に派遣している.
  さいたま市内の避難所のひとつ,片柳コミュニティセンター近隣のやどかり情報館では,お風呂提供の他,ポップコーンやコットンキャンディの製造実演・提供を行っている.
  埼玉県障害者交流センターには福島県から避難して来た方たちが生活しており,別館と援護寮のお風呂を提供している.長引く避難生活で,日中過ごせる場が必要になった障害のある方から,やどかりの里の活動へ問い合わせもあった.

 今回の被害は,かなりの部分が津波によるものだという.住民のいのちも暮らしも,跡形もなく飲み込まれた.さらに,レベル7の原発事故という深刻な事態が起こっている.ようやく明るい話題が出始めていた経済への影響は計り知れない.
  やどかりの里ではきょうされんを通して被災地の障害者団体に支援金を送っており,第一時集計では237,865円の支援金が集まった.各部署で随時受け付けている.

 (日野 陽子)

 

機関紙「やどかり」2011年5月号より

エンジュ新築計画進捗報告

国庫補助協議への道のり

 エンジュ新設,援護寮の改築に向けて,昨年8月に社会福祉施設等設備整備補助金計画書を提出,11月にさいたま市での本審査会を経,国の協議にあげられた.ここに至るまでに,特にエンジュでは,建築基準法に基づく協議が必要となるなど長い道のりがあった.

さいたま市での審査会,直前で
  昨年10月,国への協議に向けた市での審査会が予定されていた2日前,市担当者から,急遽,理事長または常務理事,担当者で来庁して欲しいとの連絡が入った.翌日,朝一番で市役所を訪ねた.福祉課から,今回の計画について,1つは,建設予定地の敷地面積が500uを越すので計画は開発行為にあたり,隣接道路を拡幅するよう隣接地権者と調整すること,2つめは,建設予定地は第1種住居地域にあたり原動機の使用に制限がかかるため,設備の内容によっては,施設が建設できない場合もある.これらの問題をクリアできなければ審査会にかけられない,と告げられた.いずれも建築関連法規に係る内容だが,準備段階で福祉課担当者,建築担当の窓口とも確認してきた事項で,まさに晴天の霹靂だった.
  これらの対応に向け,イトロコンサートの終演後,基本設計を担当した都祭設計事務所に同席いただき,臨時理事会を開催.市から示された追加や修正資料の提出期日まで2週間もなかった.

開発行為って?
  開発行為は建築などを目的に「土地の区画形質の変更」をすることで,土地の規模によって開発許可が必要になる.許可には様々な条件を整備することが必要で,その1つに前面道路の幅を4m確保することがある.準備段階では,敷地を分割して計画し,建築担当の窓口とも確認してきたことだった.
  急遽,道路拡幅に関わる土地の所有者を訪ね説明にあがった.エンジュ建設についてはすでに同意いただいていたが,改めて,代々引き継がれてきた土地に触れることを切り出すには,とても気がひけた.地権者の人たちは,頭から反対,ということはなかったが,十分な調整や時間が必要なこと,土地を貸出して利用されているので難しい,など,重々了解できる理由をいただき市に報告した.
  市からは,道路拡幅以外で緑化など開発行為に準じる形に計画するよう求められ,急遽,関係機関と調整しながら変更していくこととなった.

住居地域でエンジュは建てられない?
  次の大きなハードルは,予定地ではそもそもエンジュが建てられないのでは,ということだった.建築基準法によると,第1種住居地域では住環境に害さないよう建築物の規制があり,その1つに「原動機を使用する工場で作業場の床面積の合計が50uを越えるもの」がある.原動機とは,エンジュではコンベクションオーブンや食器消毒保管庫などが該当し,用途上は建てられないという.こうしたことも,予め建築窓口と確認してきたことだったが,窓口の上部にあたる市建築行政課と改めて確認していくことになった.

公共性の高い施設として
  建築行政課は,用途上は建てられない,ただし,建築基準法で例外措置があり(第48条ただし書き),公共性の高いものであることから許可対象とする,住居の環境を害さない整備を十分に整え,住民の意見を聞き建築審査会で同意を得る手続きをする必要がある,との見解を示した.エンジュの主目的は障害者福祉施設であり公共性が高いが,計画している作業場の広さや生産性,継続性から用途上は「工場」であり規制がかかる.そのため,公聴会,建築審査会の手続きが必要だという.
  延期されていた国庫補助協議に向けた審査会は11月に設定された.この審査会にかけられなければ,国への協議にあげられない.設計士さんは連日のように関係機関に足を運び調整,図面変更にあたってくださった.
  そして,11月12日に福祉局内で検討される準備審査会,翌週には庁内関連局による本審査会が開かれた.結果,建築の許可を得ることを条件に計画が適切であると認められた.福祉課からは国に協議をあげるため,2〜3月に建築行政による公聴会を開き,了解を得られる必要があると伝えられた.

南中野の住民の人たちに見守られて
  行政による公聴会を前に,法人独自で近隣住民説明会を開催することにした.事前に南中野自治会長さんにご相談し,会場として南中野自治会館を使わせていただくことにした.年明け早々,予定地の半径100m以内の1軒1軒を訪ねた.説明を加えながら案内を渡すと,「がんばってね」と声をかけてくださる人もいて心温まる思いがした.
  1月14日,近隣住民説明会開催.南中野自治会長さん始め,隣接するアパートを管理する不動産会社の人,店舗の人,近隣にお住まいの人など7名の参加があった.
  不動産会社の人からは,車両の出入り,敷地内の路盤,雨水処理,臭気,熱源,など多岐に渡る質問が出された.他に,「この辺はカラスが多いから,ゴミの出し方に気をつけて欲しい」,「防犯にも気をつけた方がいい」,中には「福祉施設ができるなら,バス停から渡るところに信号をつけるよう提案してくれるといい.自分も小さな子どもがいて心配だった」という意見もあがり,終始和やかな会となった.スーツ姿で出席したエンジュのメンバーの小泉知明さんは,「精神障害者云々,なんて言われないんですね」,と笑顔を見せた.
  やどかりの里の第1回のバザー会場は南中野自治会館だった.古くからやどかりの里を支えてくださっている人も多く,商店会とのおつきあいも続いている.やどかりの里の活動の積み重ねから,新しくできるエンジュも支えられていることを実感した.

許可申請,公聴会,建築審査会
  この間,設計士さんは,市に何度も足を運び,特に,臭気と原動機に絡む音の対策を練った.音については,オーブンや冷蔵庫など各器具の仕様を調べ複雑な計算式から周囲への影響を予測するという.臭気については,はっきりとした基準がなく難航した.建築行政課とも協議し,1階の厨房の換気扇を天井の中に据え,屋上の脱臭装置を通して排気することにした.脱臭装置は1,000万円するとのことで,資金が大変厳しいが,住民への配慮,国庫補助協議も意識して決断した.
  1月27日,建築行政課に「第48条5項ただし書き許可申請書」を提出.2月16日付で公聴会公示,予定地に案内版を設置した.
  3月2日,公聴会開催.建築行政課,消防局,障害福祉課から説明の後,やどかりの里から法人概要,エンジュの活動,建設計画の説明を行った.住民の参加はお1人.その方は配食の関係でお世話になっている人だった.「エンジュの建設はよいことだと思う.地域の人たちも交流できるように部屋もあれば,と思う」と意見いただいた.閉会後,改めてその方にご挨拶すると「もし,反対意見が出たら何か援護射撃できるかな,と思って」とそっとお話し下さった.感謝の気持ちで胸が熱くなった.
  3月23日に建築審査会が開かれ,25日に許可がおりた.ようやくここまで辿り着いた.

 国の協議が通れば6月に内示,それから入札,着工の運びとなる.一方で資金づくりが大きな課題である.当初2,000万円としていた目標額を,2,700万円に上方修正しなければならなくなった.今年度中に2,000万円の資金獲得が必要だ.多くの人たちと共に精一杯取り組んでいきたい.

(香野 恵美子)

 

機関紙「やどかり」2011年4月号より

さいたま市議会傍聴報告

「さいたま市誰もが共に暮らすための
障害者の権利の擁護等に関する条例」が制定
ノーマライゼーションの実現に向けたスタートライン

 3月4日,さいたま市議会にて「さいたま市誰もが共に暮らすための障害者の権利の擁護等に関する条例(以下,条例)」が制定した.

条例制定までの短くて長い道のり

 2009年12月,さいたま市長の諮問を受けて条例づくりがはじまり,シンポジウムや全11回に及ぶ100人委員会での議論,パブリックコメントなどによる意見募集等を行いながら,条例が作られてきた.
  当初より,約1年という短期間で本当に実効性のある条例が作れるのかという声が多くの人から発せられていた.しかしながら,せっかく作るのだからいい条例を作ろうと,たくさんの人が意見を挙げ,時間とエネルギーを投入して条例づくりに取り組んできた.
  ところが,市議会に提案された条例案は,100人委員会等で練り上げて市長に提出した最終報告の条例案と比べると,文言が修正され,内容がトーンダウンしている点も多々見受けられた.市議会の各会派からも賛否様々な意見が出され,条例が制定されるのかどうか,議員に声を届ける運動を続けながら固唾を飲んで経過を見守ってきた(機関紙3月号3面参照).

実効性のある条例にするために

 3月2日には市議会の保健福祉委員会が開催され,条例についての質疑,討論,採決が行われ,75名もの人が傍聴した.
  この条例は,障害のある人を権利の主体とすること,障害の捉え方を医学モデルから社会モデルに変えること,合理的配慮やインクルーシブの視点,差別や虐待を禁止することなど,国連で採択された障害者権利条約の理念に学んで条例の柱をつくり,このさいたま市でより実効性のある条例になることを目指してきた.中でも,差別や虐待の相談支援体制をどのように整えていくのか,条例を市民にどのように周知して一緒に考えていけるか,また,障害のある人があたりまえに暮らしていく権利を侵害されてきている実態を受け止め,その解消に向けてどのように取り組んでいくのかなど,課題は山積みである.
  条例ですぐに解決できることばかりではない.5年後の見直しの際に,1人でも2人でも,より多くの人がこの条例ができて暮らしやすくなったと実感できることが増えることや,条例をよりよく改善していくための市民の実態把握や議論を積み重ねていくことが大切になる.条例が可決された時には,会場いっぱいに感動の輪が広がった.

 この間条例づくりに参加してきた大宮中部活動支援センターの東京子さんは,「100人委員会に出席できない時もあったが,皆の熱意や,ここが困っているなどの生活に対する真剣さを目の当たりにした.この条例で障害があってもあたりまえに生きていく権利が保障されることを期待するとともに,条例づくりを支えてくれた皆様の力を忘れずに,自分がこれから生きていくエネルギーにしていきたい」と語った.条例が羅針盤となって,皆が安心して暮らせるさいたま市を創っていけるように,この条例を皆で育てていきたい.
(鈴木 裕貴)


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