社会の動きを知り,改めていのちの価値を問い直す
「自治体に働く保健師のつどい」に参加して
去る1月24日,25日に名古屋市で第36回全国保健師活動研究会<自治体に働く保健師のつどい>が開催された.この研究会は,自治体で働く保健師を「健康の問題を通して憲法を住民の暮らしの中に生かす役割を担っている」と位置づけ,「ひとりぼっちの保健師をなくし,すべての保健師が学びあえる,保健師の保健師による自主的な学習の場」として毎年1回開催されている.
やどかりの里では近年,「精神保健福祉のことだけを見ていたのでは問題は解決しない.他領域の状況から学び,全体状況を掴もう」という問題意識を持って,他領域の集まりにも参加するようになった.このつどいもその1つである.元々つどいの刊行物をやどかり出版が引き受けていたつながりもあって,研修としても毎年何人か参加するようになった.つどいは,住民自治の視点が学べ,保健師を取り巻く状況を知ることで,国の動きを読み解くことができる場である.今回は全体で800人を超える参加があり,やどかりの里からは8名が参加した.
まず,基調講演では篠崎次男先生(立命館大学)の講演があった.構造改革下の自治体再編の動きで,保健・医療・福祉をめぐる状況がどのように変化しつつあるか話があった.社会保障制度改革のなかで制度そのものが解体され,規制緩和の名の下,保健・医療・介護・福祉の市場化が進んでいること,自治体の中でも専門職の臨時職員化,公共施設の管理運営や窓口業務の民間委託化が進んでいることなどが話された
.また,健康日本21運動や健康増進法などの動きでは,健康維持の自己責任の徹底化とそれにより医療費の適正化を目指すねらいが背景にあることも触れられた.聞けば聞くほど国民の健康を守るという公的責任が確実に後退していると実感した.
特別講演では「水俣からのメッセージ」として原田正純先生(熊本学園大学)のお話を聴いた.いのちの価値を改めて考えさせられる講演で,心の底から揺さぶられる思いがした.水俣病が発見されてから原因究明まで2年半もかかった背景には,責任を取ろうとしない企業や国の対応があったこと,公害被害は常に弱者が受けることなど,人のいのちや暮らしがいかに粗末に扱われてきたのかを知り衝撃を受けた.
胎児性水俣病の問題では,障害児が生まれないために,水俣病の発生地域の母親に堕胎が勧められた事実があったという.運動の進め方が障害児の存在を否定することにつながってしまったのではないかと語られた.一方で胎児性水俣病のK子さんの話も紹介された.K子さんは23年の短いいのちであったが,お母さんは「この子が私の毒を引き取ってくれた」と,K子さんを「宝子」と呼び慈しんだ.家族もK子さんを大切にした.K子さんとお母さんの写っている写真は世界に紹介され,多くの人にいのちの大切さを黙って示し続けた.いのちの価値をK子さんとお母さんから学んだと先生は話された.先生の言われた「水俣は行政のあり方,学者のあり方,同時代に生きる私たちの生き様を映す鏡なのです」という言葉が胸に残る.
それまでの2日間の話が,社会の状況が人のいのちや暮らしを守る方向とは真逆の方向に向かっていることを感じる内容であっただけに,原田先生の講演は腹にズシンと響いた.私にとっては,いのちの大切さを噛み締めることになった2日間だった.
(白石 直己)
機関紙「やどかり」3月号より
厚生労働省前に怒り渦巻く
本紙2月号の巻頭記事にもあるように,小規模通所授産施設と小規模作業所の運営費削減が問題になっている.これを受け1月27日に,小規模通所授産施設関係8団体の主催で小規模通所授産施設アクションデーが開催された.やどかりの里からも3名が参加した.
まず,午前中に自民党本部にて厚生労働省(以下厚労省)の障害福祉部長による公開説明会が開かれた.自民党の国会議員約30名と厚労省の職員,8団体から約60名の参加者が出席した.
厚労省は小規模通所授産施設運営費の50万円削減(1,100万円→1,050万円)については「人事院勧告・物価指数をもとにした財務省との調整の結果」という回答をした.関係者の不満,怒りをうけ,厚労省は障害者団体8団体を交えた話し合いの場を早急に設定していくと応えた.また,小規模作業所の運営費1割削減(平成15年度110万円→99万円,平成16年度99万円→88万円)は,団体補助金であるかぎり平成17年度以降も続くとし,小規模作業所の位置づけの検討を含めた体系見直し等,抜本的な改革が必要であると回答された.
午後からは場所を厚労省前に移し,抗議集会を行った.各地から400名を越える参加者が集い,切実な状況を訴える声や,厚労省の姿勢に対する怒りの声が溢れていた.
参加して,知れば知るほどあまりに理不尽なことが多く,憤懣やるかたない思いがした.国の動きに対峙する運動の必要性を強く感じた1日だった.
(白石 直己)
機関紙「やどかり」3月号より
エンジュお弁当利用者調査の報告集会のご案内
やどかりの里通所授産施設の事業である「食事サービスセンター エンジュ」は,地域の食事作りの困難な方に向けた配食サービスを行っている.現在配達に伺っているお宅は50件ほどで,利用者の多くは高齢者である.エンジュは配食サービスを始めて7年になり,これまでの活動を見直し,今後の方向性を見通す時期となった.
食事サービスがお弁当利用者にとって,どんな有効性があるのか確認したいという思いから,やどかり研究所の協力を得て2月21,22日にエンジュのお弁当利用者への調査を行った.調査では南信州地域問題研究所の鈴木文熹さんのお力も借りた.20人の方にご協力を頂き,エンジュのお弁当を通して皆さんの生活に迫る調査となった.翌週に調査のまとめを行い,エンジュの活動の見直しと地域のニーズの洗い出し,そして私たちが暮らす地域の姿について深い洞察をすることができるのではないか,と考えている.
この調査の報告集会を4月17日(土)13:00から,やどかりの里会館2階ホールにて開催する.この調査での学びを多くの方と共有したい.どうぞ足をお運び下さい.
(堤 若菜)
機関紙「やどかり」3月号より
老いても豊かに暮らし続ける・2
前号(機関紙「やどかり」369号)では,高齢になっても地域で一人暮らしを続けるやどかりの里のメンバー(亜津さん・75歳)に話を伺った.その中で,快適な暮らしを続けるためには,介護保険制度のホームヘルプサービスが大きな役割を担っていることが分かった.そこで今回は,亜津さんに関わるホームヘルパーの方たちに話を伺うことにした.
亜津さん宅に訪れるホームヘルパーは,さいたま市在宅ケアサービス公社(以下,公社)から派遣されている.高齢社会が進み,介護等へのニーズの高まったことを背景に,平成8年に設立された.市が行う在宅ケアサービスの受託事業の他,有償在宅福祉サービス等の自主事業も展開している.
公社では,精神障害を持ちながら介護保険制度を利用するのは,亜津さんが初めてのケースである.そのため,自分たちの言動が刺激になり,症状に影響を及ぼすのではと,初めはホームヘルパー側も戸惑いや不安が大きく,どのようにコミュニケーションを取っていいのか分からなかったそうだ.実際に支援が始まると,買い物では欲しいものを一方的に頼まれるだけだったり,他人が自分のお金に関わることにも抵抗がある様子だった.
しかし半年ほどたって転機が訪れた.亜津さんの生まれ育った浅草へ帰りたいという思いから,部屋は引越し用のダンボールや荷物でいっぱいだった.もう少し暮らしやすい環境があるのではと気になっていたが,奥に入ることは断られ,そのままの状態が続いていた.夏にクーラーのスイッチを入れるために,荷物の間を移動していく様子が大変そうで,思い切って「荷物を動かしていいですか」と声をかけた.すると本人が了承してくれたのだ.このことがきっかけで徐々に部屋は片付き,押入れからは炊飯器も見つかった.お金の支払いの時もバッグの中から財布を見つけるのを手伝えるようになり,以前では考えられなかった事と話す.最近では亜津さんの方からもホームヘルパーの方々に話しかけ,よく笑い合うそうだ.
最初の頃,病状のことを意識して構えていたホームヘルパーの方々が,今では亜津さんの人柄が伝わってくるエピソードを楽しそうに話す.亜津さんの人柄を理解していくうちに,リラックスしたやりとりができるようになったことが分かる.これは亜津さん本人にも言えることだろう.ほかの高齢者を訪問するときも,役割のはっきりした身体介護より,互いの考え方や価値観をやり取りしなければならない日常生活援助のほうが難しいという.ホームヘルパーの方々は,亜津さんの気持ちをくみ取りつつも,快適に生活するにはどうすればよいか,ごく自然に意識しているように感じた.ただ決められたサービスを行なうのではなく,相手のその時の状況やニーズを捉え,互いの気持ちを交わせていくことで,相手と共によりよい暮らしを築いていけるという事の表れではないだろうか.
(木戸 智子)
機関紙「やどかり」2月号より
精神障害者社会復帰施設の拡充を求める12.16の集いin九段会館(東京)の報告
12月16日(火),九段会館(東京)で「精神障害者社会復帰施設の拡充を求める12.16の集い」が,関係8団体が組織する中央実行委員会の主催で開催された.これは,精神障害者社会復帰施設施設整備費大量不採択問題に対して起こした運動である.構成8団体は,全国精神障害者社会復帰施設協会,全国精神障害者家族会連合会,全国精神障害者地域生活支援協議会,日本精神保健福祉士協会,きょうされん,全国社会就労センター協議会,日本精神科看護技術協会,全国精神障害者団体連合会である.全国から1,000名以上の参加者が会場に集結し,やどかりの里からは11名が参加した.
この集いは,平成15年度の施設整備費,設備整備費の不採択分の復活を実現していくこと,社会復帰施設をめぐる問題を広く国民に訴え,精神保健福祉分野への理解と共感を求めていくことを目的とした運動である.あわせて,「10万人署名活動」も同時進行中である.全国から現在89,634名分集まっており,未集計分を含めると10万人を超えるとの報告があった.
九段会館では,各地からの切実なレポートがあり,不採択施設と「7.22緊急集会」後追加採択された施設あわせて6施設の経過報告があった.その後,自由民主党,民主党,公明党,日本共産党,社会民主党の代表者によるシンポジウムが行なわれた.
後半は会場を厚生労働省に移動し,中央実行委員会代表団が要望書と署名を提出した.厚生労働省前では300人以上が寒空のなか集結し,アピールの集会を開いた.厚生労働省との交渉を終えた代表団からは,「できるだけのことはするとは話していたが,確約は得られなかった」と報告を受けた.
「7.22緊急集会」後40件が追加採択されたが,未だ86件が不採択,全体の5割にも満たない.現場からは,内示されても素直に喜べない心情や,全国各地が国に振り回されている現状とそれでも諦めない取り組みがされていることが述べられた.新障害者プランを示した初年度,国は自治体に対し社会復帰施設の計画的な整備を呼びかけておきながら,数値目標に見合う補助金を確保していない.社会復帰施設のない市町村が,全国に約90%もある現状でである.「多くの仲間がまだ病院の中にいる」という精神障害者の憤りを,国はどう受け止めるのか.まさに国民の生きる権利をどう考えているか国の姿勢が問われている.
シンポジウムでは,財源確保の問題に加え,精神保健福祉法は医療の枠組みで成り立っており,別立てで福祉法が制定されていないことに課題があると,制度そのものの見直しの必要性が述べられた.退院だけを目標にするのでなく,人間的な暮らしをするための資源・サービスの整備が大切,障害者問題の委員会が国に設置できたらという前向きな提案もされた.
今回「12.16の集い」に参加し,国の情勢に私たちがいかに巻き込まれているのか強く感じた.そして,この問題を私たち1人1人の問題として共有し,運動として活動を広げていくことの重要性を強く感じた一日だった.
やどかりの里でも法人会員に「10万人署名活動」の協力を求め,1,983名分の署名を提出させていただいた.協力してくださった皆様にこの紙面をお借りてお礼を申し上げます.
(佐々木千夏)
機関紙「やどかり」1月号より
さいたま市役所での授産製品販売試行事業のスタート
2003年4月,政令市さいたま市が誕生した.人口100万を越える大きな町だ.この町の中でやどかりの里がどのように活動を展開していくのか,自治体との連携やさまざまな団体との横のつながり作りが,ここ数年のやどかりの里の大きな課題である.
そういう中で,1つの新しい活動が始まった.さいたま市役所の玄関ホールでの授産製品の販売の事業だ.市内の授産施設,精神障害者の地域作業所,デイケア(埼玉県,さいたま市の事業で,知的障害者,身体障害者の作業所のような活動)などで制作している商品を販売する場所を提供したいという提案が,さいたま市障害福祉課よりあった.市内の障害者施設で制作されている商品の販売促進を目指した事業である.市内の障害者施設が要望していたことでもあり,障害福祉課が何とか事業化したいと考えていた事業でもあった.
12月6日には説明会が開かれ,市内の障害者の施設が多数集まり,障害福祉課の説明を受けて,さまざまな質問が投げかけられた.そして,12月15日から市役所での販売が3月末日までの試行事業としてスタートした.
やどかりの里でも,「地域作業所なす花」「通所授産施設食事サービスセンターエンジュ」「やどかり情報館やどかり出版」が参加を希望している.
市役所が提供するのは,市役所玄関ホールの場所と販売用のテーブルと椅子,数枚のパネル.試行事業の期間中は,各施設の調整は 障害福祉課で担当する.
小さな一歩ではあるが,大きな意味のある一歩ではないだろうか.市役所を利用する市民,市役所で働く職員に,障害者の制作する 品々が身近なものになり,その商品を通して,
障害者と触れ合う機会が増える.一方で,障害者施設が作る品々が,商品として通用するのかを考えるきっかけにもなるであろう.自分たちが作成している商品が,消費者が手にとって欲しくなる商品なのかを考える機会にもなる.そして,何施設かがいっしょに販売することになるので,今まであまり交流のなかった障害者施設の職員や利用者が顔を合わせ,情報交換をしたり,協力し合ったりする機会になっていくことであろう.
大きくなったさいたま市だからこそ,日常的に触れ合う機会が貴重だ.また,さいたま市役所まで販売に来るのは距離的に大変な施設もあり,9つある区役所などでも販売ができないかという声も上がっている.
実際に販売が始まって,食品類の売上はまずまずということである.しかし,販売の場所がわかりにくいという声もあり,市役所を訪れる市民よりも,職員が立ち寄ることが多いようだ.試行期間の中でいくつかの課題が見えてきそうである.見えてきた課題をどのように解決し,この事業をどのように発展させていくのか.市内の障害者施設,さいたま市障害福祉課,双方の力量が試されるところであろう.
(増田一世)
機関紙「やどかり」1月号より
老いても豊かに暮らし続ける
―ホームヘルプサービスを利用して―
人は誰も,自分の老後の生活に不安を感じることがあるのではないだろうか.食事や買い物,部屋の掃除といった毎日のこと,また外出しづらくなることでの孤独感等である.今回私は,実際に高齢期を迎えながら地域で一人暮らしを続けておられるやどかりの里のあるメンバーにお話を聴くことができた.この方の生活を通して,老後の暮らしを豊かに送ることについて考えてみたい.
75歳になる亜津さんは,長年さいたま市のアパートで一人暮らしをしている.お宅へ伺うと,いつもにっこりと笑顔で迎えてくれ,外出時には口紅をひく亜津さんは,上品でとてもおしゃれな女性だ.数年前まではやどかりの里の地域作業所ドリームカンパニーで働いたり,支援センターの憩いの場やスーパーへの買い物に足を運ぶ毎日だった.しかし年齢を重ねるうちに,体が思うように動かなくなって外出しづらくなり,食事の用意も困難になってきた.そこで2年ほど前から介護保険制度のホームヘルプサービス利用を開始している.
介護保険制度とは,少子高齢化社会での介護問題を支える為に平成13年度から施行されている制度である.65歳以上(40歳以上65歳未満は加齢による特定疾患のみ)利用可能で,市役所への申請後いくつかの過程を経て判定が出る.この際の判定は程度の軽い順で,要支援から要介護5までとなり,それによって受けられるサービス内容や料金が変わってくる.基本的に食事・入浴・排泄といった身辺のことを介助する身体介助と買い物・掃除・洗濯といった家事援助サービスがあり,利用料の1割が自己負担となる.亜津さんは要介護1で,週2回2時間ずつの買い物や掃除を中心とした家事援助と週1回のゴミ出し,病院への通院同行といったサービスを受けている.月額の利用料は4,000円程度.(買い物・交通費は実費)
亜津さん曰く,以前は大抵のことを自分でやっていたが歳をとってからは徐々に人に頼まざるを得なくなったという.そこで,それまでの生活支援センターの訪問,支援に加え,介護保険制度の利用をすることとなった.今でこそヘルパーの方と仲良くおしゃべりをする亜津さんだが,利用開始当初は不安や戸惑いの気持ちがあった.以前は洋裁が趣味で炊事や洗濯も難なくこなし,お金の管理もしっかりしていた亜津さん.人となりを知らない相手に自分のお金を預け,買い物を頼んだり,部屋を片づけてもらうことには抵抗感があった.しかし時間をかけてヘルパーの方が何をしてくれる人か,どんな人物かが分かると,徐々に打ち解けていった.亜津さんは自分のことを「元々は口下手なほう」と言うが,ヘルパーの方が来ると,おしゃべりをする機会が随分と増えた.心配事になっていた食事の用意も,朝・昼はヘルパーの方に買ってきてもらい,夜は生活支援センターの夕食宅配サービスを頼んでいる.最近では自分でも片づけをしたり,ヘルパーの方に炊飯器の使い方を習って温かいご飯が食べられるようになった.
「高齢になっても自分はもう老いてしまったからと思わず,若い人と交流を持つことで朗らかな気持ちを保てるのでは」と亜津さんは語る.様々な人と交流を持ち続けること,地域にある資源を有効活用し,自分に合った使い方にしていくことで,自分が望むライフスタイルをより豊かなものにしていくことが出来るのではないだろうか.
(木戸 智子)
機関紙「やどかり」1月号より
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訃報
故 粕谷理事のご冥福を祈って
やどかりの里を長く支えてきてくれた粕谷慶治理事が,去る11月19日に急性心不全で亡くなられました.
葬儀は,中野にある宝仙寺においてしめやかに執り行われました.ここに心からご冥福をお祈りするとともにご家族の平安を祈念したいと思います.
粕谷様は,昭和51年にやどかりの里の法人会員として加入いただき,昭和52年から26年間理事としてご活躍いただきました.この間,やどかりの里では存続の危機を迎えるなど大変な時期を過ごしますが,粕谷様には,存続の会の委員にもなっていただき,物心両面から絶大なるご協力を得たところです.
そして,最近迎えたやどかりの里の30周年記念の式典の実行委員長をされるなど,温和な振る舞いで我々を安心させながら纏め上げてくださったことを思い出します.
今となってはありがとうの言葉も届かないかと残念に思いますが,我々やどかりの里に関わる人たちにとって本当に貴重な存在であったと改めて偲ばれます.
ここに粕谷様の功績をたたえて,我々の胸のうちに想いをとどめたいと存じます.
粕谷様,どうぞ安らかにお休みください.貴方の残された軌跡を受け継いでいきたいと存じます. 合掌
理事長 土橋 敏孝
粕谷様との出会い
昭和51年,やどかりの里は財政危機の真っ最中であった.そのようなところに,あるメンバーの伝手で1人の大学教授の訪問があった.その人が粕谷様であった.福祉医療を専門とする者の中でも,まだ地域活動に対しての関心は浅かった1970年代.専門分野は経済学でありながらも,やどかりの里の創設者であり,現会長谷中輝雄氏の推奨する,「精神障害者も地域の中で生活を」という趣旨に深く理解を示してくださった方であった.お目にかかって早々に,メンバーと社団法人会員とで活動していた「(やどかりの里を)存続させる委員会」に参加してくださり,月1回は開催されるこの会で,粕谷様はマスコミや行政に,財政的支援を働きかける知恵を授けてくださった.福祉や医療分野の人が多かった当時のやどかりの里においては,粕谷様の経済学の観点をも超えた幅広い見識は,活動に広がりを与えてくれた.活動のノウハウだけでなく,委員会の中で必要とあれば,メンバーと行動も共にしてくださった.時折委員会や理事会の中で,専門外でありながら従来の精神医療のあり方に疑問をもって発言なさる姿に,「なんと幅広い視野をお持ちの方なのだろう」と驚嘆することも多々あった.
多くの社団法人やどかりの里の会員にとっては,やどかりの里の理事として,年1回の総会で,現理事長土橋氏と交代で議長を務めてくださったことを覚えておいでの方も多いと思う.
その後,大学の仕事もお忙しくなり,滅多にお顔を見る機会は少なくなったものの,ことあるたびに蔭ながらやどかりの里を支えてくださった方である.上背のある粕谷様が少し背を丸めつつ,独特のハスキーボイスで穏やかに,核心をつく発言をしてくださることは,やどかりの里にとって重要な存在であった.やどかりの里にとって大きな穴があいたようなこの度の訃報であった.
どうぞ安らかにお休みください.大事な時期を共に過ごせたことを私たちは決して忘れることはないでしょう.有難うございました.
元副理事長 荒田 稔
理 事 柳 義子
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厚生労働省「精神障害者の地域生活支援の在り方に関する検討会」
当事者参加の意味と内実を考える
2003年10月8日,厚生労働省の「精神障害者の地域生活支援の在り方に関する検討会」の第1回目会合が開かれた.これは昨年12月の社会保障審議会障害者部会精神障害分会の報告書「今後の精神保健医療福祉施策について」の中で出された課題を,具体的に検討する為に設置された検討会の1つである.
この報告書は,今後の精神障害者施策を「入院医療主体から地域における保健・医療・福祉を中心とした在り方に転換する」と提言している.その実現には,入院者の退院促進や地域精神保健福祉の施設やサービスの整備・充実,地域保健,相談態勢の確保などを進める必要があると述べている.
検討会では,地域生活支援の現状,必要なサービスの種類や量,今後必要な取り組みについて検討していくことになる.委員として,やどかり情報館の香野英勇氏が出席している.第1回目は,会が始まる直前に配布された30頁程の資料の説明に大幅な時間を取り,何を焦点にして今後話合いを進めるかという議論を行い,結論が出ないまま終わった.
1日2時間,月1回開催予定で,第2回目は先日開かれた.討議時間は約15分.発言できない委員もいた.22人の委員のうち,香野氏を含めて3人が当事者である.今後どのように会が進むかはわからないが,それぞれが充分に発言もできないで出た結論が,「当事者も含めて検討した」と意味づけされる可能性もある.皆でこういった検討会の実際を知り,広く伝えていく必要がある.傍聴自由なので是非多くの方に足を運んでいただきたい.
(黒崎 夢)
機関紙「やどかり」12月号より
長期在院者の退院促進を進める新規プロジェクト
長期入院の課題を地域の課題として
やどかりの里新規プロジェクトの取り組み
今年度より,やどかりの里の生活支援活動の新たな取り組みとして,さいたま市内の長期在院者の退院促進を進めるため,.新規プロジェクトを立ち上げ,職員とメンバーとの合同のチームをつくり取り組んでいる.
退院促進の取り組みに向けて昨年度から準備を始め,市内6ヶ所の精神病院を訪問させていただいた.長期入院者の退院後の支援は,地域活動を行っていく私たちの共通の課題であることが見えてきた.そこで,今年度からは複数の病院と連携しながら,退院促進に向けての準備を始めている.中には,病棟内で社会復帰グループをつくって退院促進に取り組んでいる病院もある.
プロジェクトでは,毎月1回会議を開いている.病状も安定し,退院の希望を持っている人達がどんな支援やサービスがあったら退院が可能なのか,話し合いを重ねてきた.上半期までのところでは,やどかりの里の見学や援護寮でのグループ体験宿泊,グループホームや生活支援センター,憩いの家などでのメンバーとの交流,座談会などを進めてきた.
こういった一つ一つの取り組みは,プロジェクトの会議で検討してきた.「どんなものがあったら退院したいと思えるだろうか」「冷たい飲み物と好きなだけ食べられるお菓子は大切」「畳の上で座卓を囲んで話す暖かな雰囲気は欠かせない」「調味料が自由に使えることが嬉しかった人もいたね」などと,一人一人が自分たちの体験と知恵を出し合い決めてきた.援護寮で体験宿泊をする際には,「初めてのところで泊まるのは不安だろう.自分たちも一緒に宿泊する」といった意見から,プロジェクトの数人のメンバーが一緒に宿泊した.メンバーの新しく退院しようとする仲間を思う気持ちは熱い.
やどかりの里が,1990年社会復帰施設を開設してから13年.その間,およそ50名近い人たちがやどかり里援護寮やグループホームを足がかりに退院してきた.
現在,さいたま市内には精神病院は6ヶ所.これらの精神病院の病床数を合計すると,約1260床となる.全国で精神科の入院者数は約34万人.そのうち,社会的入院者は約7万2千人と算出されている.全体の入院者数のおよそ五分の一の人たちが,何らかの支援があれば退院できるということになる.さいたま市の場合,市内の精神病院の病床数が約1260床となると,そのうちの五分の一,約250人が退院後の支援が整えば地域生活が可能になるということになる.この現状を地域の問題としてどう捉えるのかが重要である.
長期入院の課題に取り組もうとするとき,様々な問題に向かっていかなくてはならない.精神保健福祉を民間に委ねてきた国策の問題,まだまだ不十分な社会資源やサービスなど山積している.社会復帰施設整備費削減の問題などもある.地域で暮らすというあたりまえなことが,なぜ実現できずにいるのか.その現実から逃げることなく,広い視野にたって,この問題に取り組んでいく必要性を感じている.
長期入院の課題は,地域で活動する私たちの課題である.今後,行政,医療,福祉の現場が連携しながら長期入院の課題に向き合い,取り組みを進めていくことの大切さを感じている.
(三石 麻友美)
機関紙「やどかり」12月号より
日米メンバー交歓会
国境を越えた仲間同士の付き合い
共に過ごした日々を振り返って
「WELCOME TO JAPAN 」と書いたプラカードを持ち,私たちは到着口でプロジェクト ・リターン・ザ・ネクスト・ステップのメンバーが来るのを待っていた.待っている間,来日してきた外国人に,にこやかに「ウェルカム ツー ジャパン」と声をかける「来日メンバー受け入れを考える集い」の面々.気持ち良く「Thank you」と言う人もあり,和やかな空港でのやりとりがなされていた.
第1回目の日米メンバー交歓会で来日したことのある,ゲイル=グリーンさんがゲートから「ヘーイ」と声をあげ,私たちは,「おーう」と迎えた.結局,日本語で応えていた自分たちがいたのだが,それに気づくこともなく,日本のメンバー5名とアメリカのメンバー4名は,すぐさま握手をして皆揃って写真を撮った.後から後から「私のカメラでも撮って」というアメリカのメンバーの要望に応え,周囲からは何事かと見られていた.しかし,初めて会った者同士でも,このように親しくしている風景は,他の人には羨ましくも感じるだろうなあなどと考えていた.
日本でのアメリカのメンバー4名のスケジュールは過密だった.10/30・到着,10/31・やどかりの里めぐり,11/1・日米精神保健福祉セミナー,11/2・見沼の伝統を体験するツアー,11/3・中川自治会運動会,11/4〜11/6・会員親睦旅行in
箱根,11/7・ジョンレノンミュージアムとショッピング,そしてさよならパーティー,11/8・帰国である.
アメリカのメンバーは常々日本に来る際,自分の体験を話し,アメリカのことを日本の人たちに伝えることをミッション(任務)だと言っている.もちろん日米精神保健福祉セミナーでは,そうした役割は充分に全うしたことは言うまでもない.しかし私が大切なことだと感じていることは,アメリカのメンバーは,多くのやどかりの里のメンバーやスタッフと出会いや体験を伝えることだけで交流を深めるのではなく,日本の習慣や文化を見聞きし,触れたりする中で,自分たちの文化との差異についても語っていたことである.アメリカという国についての見方は,日本でも様々であるが,アメリカのメンバーとやどかりの里のメンバーとスタッフとの関係のように,1人の人間対1人の人間という交流こそが,お互いの深い理解につながっていくと思う.そして日米の当事者間の交流が,決して精神保健福祉領域だけのための親善のイベントなのではなく,国境を越えた仲間づくりであるということが大切で,これからもお互いに継続していくことを願って止まない.
彼らが日本に来る際,搭乗する飛行機に不審物が見つかり,別の飛行機に乗り換えて2時間遅れの出発だったそうである.そんな困難も日本とアメリカの人たちが楽しく笑顔で過ごせた「さよならパーティー」の時には,真の目的が達成されたとアメリカのメンバーだけでなくやどかりの里の人たちも感じたであろう.
今度は,私たちやどかりの里の人たちが,国境を越えた仲間づくりのために,勇気を持ってアメリカの地を踏んでみてはいかがですか.そしてやどかりの里の皆さん,日米メンバー交歓会への御協力ありがとうございました.「来日メンバー受け入れを考える集い」を代表致しまして感謝の意をお伝えいたします.
(来日メンバー受け入れを考える集い 香野 英勇)
機関紙「やどかり」12月号より
きらっといきる
〜NHK教育テレビの番組に登場した人々〜
去る9月13日,NHK教育テレビの『きらっといきる』でやどかりの里が紹介された.番組では,精神障害を持ちながらも地域で生き生きと暮らすやどかりの里のメンバーの姿が映し出された.初めてのテレビ取材となった末吉俊一さん,番組の中で案内役を務めた香野英勇さん,その他,食事サービスセンターエンジュの人たち,大宮中部生活支援センターに集う人たちなど,様々な人たちが日々の仕事のこと,自分の思い,夢などを生き生きと語っていた.
今回,テレビ放映のおよそ2か月前に,やどかりの里を取材したいという依頼が担当ディレクターからあった.何人かの職員や取材を依頼されたメンバーが,番組の趣旨と担当ディレクターの思いを聞き,取材に応じることになった.番組のコンセプトは,障害者の生きる姿を伝えていきたいというものだった.取材前には何回かやどかりの里に足を運んでいただき,様々な学習会や活動へ参加して職員やメンバーの声に耳を傾け,予備取材が行われた.そして,どんな番組にするのか,その骨子が明確になったところで実際の取材となった.
取材には,およそ10日間を要した.初めて取材を受ける人は高揚感と緊張感で過ごしたようである.そして出来上がった番組では,やどかりの里の活動の実際と,メンバーが自分の思いをそれぞれに語る姿が映し出されていた.
今回のテレビ取材には,多くのメンバーが協力を申し出てくれた.当初,何人のメンバーが協力してくれるだろうか,という職員の心配は軽く覆された.今回のテレビ取材が初めてというメンバーも多くいた.精神保健福祉の活動はまだまだ住民から距離があり,誤解や偏見も根強くある.しかし,取材に真摯に応じる彼らの姿から,精神障害者であることに動じない,人間としての強さを感じた.それは,番組のコンセプトでもある障害者の生きる姿そのものであった.
マスコミ報道は,当事者の思いや精神保健福祉の実際など,私たちが伝えたいことを多くの人々に発信できる有効な機会である一方,放映された内容が視聴者の感情とあいまって,私たちの思いとは裏腹に一人歩きしてしまう危険性も含んでいる.マスコミ報道に翻弄されることが度々あるのが,現実ではないだろうか.しかし,精神障害者の生きる姿や思いを知ってもらうには,これからも様々なことに取り組んでいく必要がある.
そういった中での今回のテレビ取材.放映当日に映し出された画面には,やどかりの里の多くのメンバーが堂々と自分の思いを語り,生き生きと暮らす姿がそこにあった.そして,精神障害者も1人の人間であること,誰もが自分らしく生き生きと暮らしていくことの大切さ,そんなことを多くの人たちと共有していきたい.テレビ取材は,そんな思いの一つの表れだった.
『きらっといきる』を見てくださった視聴者1人1人が,彼らの生きる姿から何かを感じ取ってくれたら嬉しい.
(三石麻友美)
前向きに生きることを発信したい!
末吉俊一さんへのインタビュー
やどかりの里を利用しながら,生き生きと地域で暮らすメンバーの姿を取材した「きらっといきる『マイペースで生きていこう!』」が,去る9月13日にNHK教育テレビで放送された.
やどかり情報館の香野英勇さんが3名の番組司会者を連れてやどかりの里を案内し,加藤藏行さんの暮らしを通
して,喫茶ルポーズと大宮中部生活支援センターが紹介され,やどかり情報館や食事サービスセンターエンジュ等の活動紹介とそこで働くメンバーのインタビューが放映された.30分という短い番組ではあったが,テレビに映るメンバーの姿は自然体で,やどかりの里の日常の雰囲気もよく出ていた.
今回の取材では,多くのメンバーの出演があったが,ここでは番組の後半でスポットが当たった末吉俊一さんから,今回の取材への思いや放送後の今,何を感じているのかについてインタビューを行った.
末吉さんが,テレビ局側の「生活を取材したい」という申し出を受けようと思った理由は
「10年近く顔を見ていない遠くの友人たちに『俺は無事だよ,元気だよ』と言いたい気持ちがあったから」.また,やどかりの里のメッセンジャーとして,表に出るのは初めての経験ではあったが,「自分なりに考えていることを話してみたい」という思いがあったとのこと.末吉さんは,ここ1年ほどの間に,これまでの自分の人生を振り返り,それを文章にして整理する作業を行ってきていた.この中で,番組を通
して伝えたかったこととは,「障害を持っていても必要以上に悲しむ必要はなく,悲しみを減らせる生き方や手段を他に見つければいい」ということであった.たとえ経済的に豊かでなくても,人間関係を豊富にしていく努力によって,生活の質を高めていけるということを,自分の姿を通
して多くの人に知ってもらいたかったのであった.
「病気をして失ったものは沢山あったが,失われなかったものもある」それは,人と触れ合うことを大切にする気持ちと,自分の夢を叶えようとする意欲であった.一時,それらを心の奥に眠らせるしかなかった時期もあったが,やどかりの里やそこに集う仲間たちとの関わりの中から,眠らせたものを解き放つ鍵を見つけたのだった.そして,番組を通
して「前向きに生きることの大切さを伝えたかったのである」
放送終了後,彼は2年前から参加している合唱団の幾人かの関係者に,この番組を収録したビデオテープを見てもらった.その際,「自分の意見を表に出そうとすることはすごいこと」といった感想をもらい,これを機に一層団員との仲が良くなったそうだ.末吉さんは,今周囲の人たちの自分への理解が深まったことを実感すると共に,より多くの人たちに精神障害者への理解が深まっていって欲しいと願っている.
最後に,「マスメディアに出ることは,障害者を取り巻く課題を明らかにしていくひとつの手段だと思った.日常的にも知的・身体・精神の3障害の特性を生かし,様々な問題を減らしていくことを,連携の中で行っていく仕組みがあるといい」と感想を述べられた.末吉さんはこの10月より自らの経験を,より多くの方に聴いて欲しいと講演活動を始め,多忙な毎日を過ごしておられる.
私はこの番組や今回のインタビューを通して,末吉さんを始めとするメンバーの人たちの前向きな生き方や,考え方から,その方の体験の尊さと重たさを感じ,その体験を基に社会を変えていこうとする彼らの力強さから,改めて多くのことを学んだ.
(堤 若菜)
機関紙「やどかり」11月号より
私が私らしくあるために
さいたま市障害者施策推進協議会委員になって
私は,毎月我が家のポストに入る「さいたま市報」を楽しみにしている.身近なさいたま市の情報が載っているからだ.ある時ページを開いた一番最初に,さいたま市障害者施策推進協議会委員の公募委員の募集の案内が載っていた.「これだ よしきた やるぞ」と思い,問い合わせをして,公募委員になりたいということを伝え,応募要領を聞いた.そうすると,「委員になりたい動機」を300字,「さいたま市の障害福祉についてのあなたの提言」など1000字を書いて郵送して下さいとのことであった.
実は,私の公募委員への応募は,これが初めてではなかった.平成13年度から始まった「さいたま市障害者計画検討協議会委員」の公募委員にも応募したことがある.その時は,残念なことに委員にはなれず,がっかりしていたことを思い出す.しかし,そのさいたま市障害者計画検討協議会には,傍聴という形で参加した.
私が歯がゆかったことは,そこに精神障害者以外の障害当事者は委員として選ばれているのに,精神障害者の委員はいなかったことである.もちろん,関連施設(やどかりの里から増田常務理事)や家族会(さいたま市家族会連合会会長)といった関係者は,委員になってはいたが,精神障害の当事者が委員にいないことはなんとも悔しかったのである.
もともと精神障害者の施策は,市町村が窓口となって行うようになってから日が浅いが,そういう意味においても遅れているし,障害者施策の各障害者間でのサービス格差は,精神障害者が一番遅れていて使えるサービスも少ないのである.そういう大前提の中でのさいたま市障害者計画検討協議会のスタートであったのだ.
傍聴席でただ事の成り行きを見たり聞いたりしていて,自分の考えと違う方向に進んでいくさいたま市の障害者計画を見ていた.私はじれったいと感じるあまり,身体をくねらせながら,何とか怒りを抑えるように努力していた.そうしているうちに,さいたま市障害者計画ができあがってしまった.言いたいことは山ほどあったが,傍聴席には発言してはいけないルールがあり,私には遠い遠いさいたま市の障害者計画に感じた.
そしてチャンスが現れたのが,さいたま市障害者施策推進協議会委員の公募委員の話である.実際には,作成された障害者計画を基に,障害者施策の現状を把握して,計画を推進するための話し合いをするのがこの協議会の目的である.その公募委員に私は選ばれたのである.
私は,今まで障害を持った者として訴えたかった精神障害者の現状を,第1回の協議会で話せる機会をもらった.これからも努力していくつもりである.こうした一連のことを通
して思うことは,私が住むこの街で,私が私らしくあるために大事なことは,障害者である前に一人の人間であること,そして何より泣いても笑っても,このさいたま市の市民であるということである.広く見渡すと,現在の経済の状況,国の在り方,政治の在り方など,嘆く材料はいくらでもあるが,ただ不満なことを愚痴っているだけではなく,国民として,市民として,真に向き合っていくことが大事ではないだろうか.さいたま市の障害者施策は十分整備されているとはいえない,しかし嘆くのではなく,このさいたま市と真剣に向き合う覚悟ができたと,自分自身実感している今日この頃である.
(香野 英勇)
機関紙「やどかり」11月号より
まごころ10周年
活動の意味を振り返る
「まごころのお弁当がおいしいと言われるのも嬉しいです」
「仕事に行く日は毎日楽しくて,疲れる事もありますが,働ける人生の生きがいがあります」
「外に出て働いたことがない私が,まごころからお給料をいただいたときは,とても嬉しかったです」
「まごころは,私にとってよい修行の場と言えます」
「まごころで(中略)やっと自分の場所があると思いました」
「お弁当作りは簡単そうに見えて難しいと10年経ってみて思いました」
これは,それぞれの目標を持ちながら,まごころで働いているいるメンバーの声だ
.
この10年間,約30人のメンバーが働く場として利用してきた.生活のペースを整えたい,調理を覚えたい,一般
就労に向けた練習のためにといった各々の目標や,体力に合わせて働く機会を提供してきた.
平成15年11月1日,まごころは満10歳になる.10年間一貫して,まごころとして目指している目標は,地域に根差した活動にしていくことであった.
これまで運営に関わったメンバー,職員,ボランティアなど協力者を合わせれば100人を越える.改めてこの10年間が,多くの方々のご支援ご協力の上に成り立っていることを実感する.この機会に,10年間の意味について振り返ってみたい.
まごころの実績として1番大きいのは,夕 食の宅配サービス事業を,生活支援センターと協力して平成5年の開所以来継続して行ってきたことだ.週に4日,お昼までに注文すると,まごころが作ったお弁当を,生活支援センターの職員がメンバーの自宅まで夕方に届けるサービスだ.
利用しているメンバーの1人は「夕食の自炊をしなくても助かります.お弁当の味は,色,味,香りがあって本当に嬉しいです」と言ってくれる.また,「決まった時間に,決まった職員がお弁当を届けてくれるのがいい」と話すメンバーもいる.
毎日利用する人,体調が悪い時や,食べたいメニューの日を選んで利用する人,おかずだけ注文してご飯だけは自炊する人など,1人1人のメンバーが自分の生活スタイルに合わせて上手に活用している.
そして,配達に行くと,野球や天気のようなちょっとした話をしたり,時には相談ごとを受けることがある.宅配サービスには,お弁当を運ぶだけではなく,地域で生活する上での「安心」もお届けする役割があると思う.
平成10年に仕出し弁当の営業許可を取得,店舗を開店し,昼食仕出し事業を開始した.業務量
が倍増し,目の前の弁当作りに追われ,時間の流れが急に早くなった.
働くメンバーは「家庭的な雰囲気がなくなった」と話し,私は「事業を大きくして本当に良かったのか?」と,迷い行き詰まったりもした.
しかし,「忙しくても,注文は多いほうがやりがいがある」という声を聞き,また,皆の頑張りを見て,メンバー,職員1人1人にとってまごころが大事なものだと知った.だからこそ,皆の意見で物事をすすめていくことが,活動にはなくてはならないものだと実感し,協働を意識した取り組みが始まった.厨房の改装,衛生の勉強会,赤字になりそう…などなど事業に関するあらゆることについて話し合っている.
そして,10年間で築いてきた事業の更なる安定化と,より多くのメンバーが働ける場となることを目指して小規模授産施設への移行に取り組み始めた.今年度は,小規模授産施設開設準備委員会を開き,そこに新たな協力者を得て,様々なお知恵をいただいている.このように応援してくださる方々が居ることは,まごころにとって本当に貴重な財産だ.
昼食仕出し弁当事業を始めたことで,地域との接点は格段に増えた.お昼には,小さい店舗に,お客さんがお弁当を買いに来てくださる.また,歩いて行けるご近所には,メンバーが配達にも行っている.
あるメンバーは「決まった時期の特別注文もかなり入るようになり,皆様のお陰でなんとかやっています」と言った.年に1度,必ずご注文くださるお客さん,会議でまごころの弁当を注文するために営業日に合わせて予定を組んでくださるお客さんもいる.
弁当屋として,お客さんから期待していただけること,召し上がって喜んでいただけることは,何にも代えられないエネルギー源だ.
メンバー,協力者,職員が一体となってまごころの活動に取り組んで来たからこそ,10周年を無事迎えることができた.そして,地域の人々にも支えられ「地域に根差した活動」に,少しずつ近づいているように思う.
皆様,10年間あたたかいご支援をいただきありがとうございました.今後とも,どうぞよろしくお願い致します.
まごころの10年略年表
平成5年11月 北与野の三軒長屋のアパートで活動開始
平成7年 秋 小規模作業所として認可
平成7年 4月 上峰の一軒家に移転
5月 ご近所の作業所へ初めて昼食弁当を提供する
平成10年3月 現在の場所へ移転
4月 仕出弁当の営業許可取得
5月 日替わり弁当屋開店昼食仕出事業スタート
平成13年 3月 やどかりの里30周年キャラバンにて活動発表
平成15年 3月 小規模授産施設化を目指して動き始める
11月 10周年を祝う会
(檜山 うつぎ)
機関紙「やどかり」11月号より
響き合った暑い夏
ひとつのお弁当がつないだ「夏の響き」inさいたまは,企画する側の予想を大きく上回る大盛況のうちに終わった.コンサートに関わってきた人達は一様に,会場を埋め尽くした人の波に興奮と安堵感を感じた.
コンサート終了後に同じ会場内にあるレストランで開かれた打ち上げ会には,出演者の方も出席していただいた.それぞれがマイクを片手に思い思いの感想を話した.橋爪文さんからは自分の体験を話すきっかけとなった息子さんが,自分の講演を初めて聞きに来た記念すべき日になったことが語られた.やどかりの里のスタッフからは,生きることに後ろ向きだった昔の自分に「生きることはすばらしい」というメッセージを伝えてあげたいと語る姿もあった.打ち上げ会に出席して下さった方々が,コンサートを通
して生や命について深く受け止めている姿に会場は感動と涙に包まれた.人と人が出会うことで,命の尊さが胸に響き,こだまとなって広がっていくことを実感する会となった.
このような感動に包まれた「夏の響き」コンサートと出会ってから今日まで1年強.たくさんの思いとともに終了したコンサートまでの軌跡を振り返ってみたい.
私が,通所授産施設が配食するお弁当の利用者である中村雪武さん(作曲家)よりコンサートのお声がけを頂いたのは平成13年12月.安易ながらもその場でコンサートをやってみたいと感じ,施設長の香野恵美子に相談した.その後,数名でコンサートのテープを聴き,橋爪さんの著作を読み検討した.その結果
,重いテーマに私たちの力量が追いつかないのではとの結論を持ち,香野が中村さんにそのことを伝えにお宅へ伺った.しかし,中村さんの,命が大切にされない感のあるこのような時代こそ,戦争を知らない若い世代に聞いてもらいたい,という熱い思いに触れ,香野自身,我が子が命が尊ばれる街でよりよく生きていって欲しいと,開催への思いを強くした.
平成14年5月の第3木曜会で,「夏の響き」コンサートのテープを聴き,やどかりの里全体で取り組んでいけないかと提案され,同年9月に宗野政美(やどかり情報館)と私が熊本で開催された「夏の響き」コンサートを取材した.そして,たくさんの方との出会いとコンサートの素晴らしさを11月の第3木曜会で伝え,やどかりの里全体で取り組んでいくことが確認された
.
コンサートの開催に向け,実行委員会が組織され,まずは私たちが戦争についてどんな思いを持っているのかを語り合った.並行して橋爪さんの著作「少女14歳の被爆体験記」を読んで感想を出し合った.米同時多発テロや有事法制の動きから,世の中が一気に戦前へと引き戻される感がある今だからこそ,命について考える必要があるのではないか,また,戦争の悲惨さと精神障害者の置かれている現状が,人権を保障されないという点で共通
しているのではないかということが確認された.このような過程を通して,それぞれが意見を出し合い創り合うコンサートにしようという意識が高まり,企画者側の動機付けが固まっていった.こうした姿勢を中村さんは「何事も話し合いを経て時間をかけて決定する,その過程を大切にしているのが,やどかりの里の良さだと思う」と話してくださった.私たちが大切にしてきたことを,的確に捉えてくださったことがとても嬉しかった.
中村さんから「やどかりの里のメッセージも企画しましょう」とご提案を頂いたのは昨年10月だった.「夏の響き」コンサートは企画の中身は既に完成していたものだったので,新たな企画を挟む事に躊躇したが,精神障害者の現状を伝え,やどかりの里の活動への理解を広める機会になればと企画が加えられた.しかし舞台の素人である私たちはどう表現すればよいのか見当がつかなかった.まず,これまでやどかりの里が出版してきた書籍からメンバーの言葉を抜き出し,詩の様に朗読してはどうかと考えた.最終的にはそれを基に,一人の女性の人生として中村さんが描き直し,脚色したものが台本となったが,この台本作りでは朗読する高田敏江さんからもご意見を頂き,1時間近く電話で香野とディスカッションしたこともあった.この過程で高田さんは精神保健福祉分野について改めて学びましたと語っていた.
今回のコンサートは,人間の尊厳を伝えていくメッセージ性の強いものであった.だからこそ老若男女,職業を問わず多くの方々に足をお運び頂きたかった.私たちはより多くの方々にご来場頂けるよう,考えつく全ての方にお声がけをした.また,後援やパンフレットに広告を頂いた関係機関をはじめ,舞台物品をお借りしたり看板作成をお手伝い頂いたり,チケット販売に奔走して頂いたり,本当にたくさんの方々のご協力を頂いた.会場の埼玉
会館の皆様にも合わせてこの場を借りて御礼を申し上げたい.
コンサートにどれくらいの方が来場するか,全く読めなかった.当日までラスト1週間という追い込みでのチケット販売で,多少の手応えはあったが,当日来て頂けるかは不安であった.しかし当日の朝には,やどかりの里に当日券の問い合わせが数件あり,開場後の当日券のお求めも予想をはるかに上回った.既にチケットをお持ちの方を含めて会場はほぼ満席となった.立ち見でも構わないからと当日券をお求めになる方もおられて,お客様のご案内をしていた会場係は席が足りなくなるかもしれないと嬉しい悲鳴をあげていた.出演者の方々とご協力頂いた方々と,そしてやどかりの里とで,時間をかけてそれぞれの思いを共有し創り合ったコンサートは,8月30日にまさに結実したのだった.
コンサート終了後,お客様からのご感想を頂く中,精神障害者の実態を初めて知り,是非わが町でもコンサートをとのお声がけも頂いた.私たちのメッセージを受け止めてくれる方がいることに喜びを感じると同時に,メッセージを発信していくことの重要性を感じている.なぜならひとりひとりの力は小さくて時には無力感を感じることもあるが,人が出会い,その出会いを通
してまた人が出会って手をつないでいく,それが大きな山をも動かしていく力になると,コンサートを創り合った過程や打ち上げの席や寄せられる感想から実感したからであった.誰もが「生きることはすばらしい」と思える社会となるために,今できることを前向きに取り組みたいと改めて思う次第である.
満員御礼!!
(堤 若菜)
機関紙「やどかり」10月号より
ボランティア連絡会開催
顔の見える関係づくりを目指して
9月18日(金),やどかりの里会館2階ホールにて「ボランティア交流会」が開催された.近年のやどかりの里の活動の広がりの中で,「やどかりの里の全体像が見えなくなった」という投げかけを受け,
@ 活動の変化と今を伝えること,
A ボランティアから見えるやどかりの里についての意見を聞かせてもらうこと,
B さいたま市内のボランティアのネットワーク化のきっかけづくりになればといった思いから企画された.
この十年近く,目の前の活動を創っていくことに力を注いできたが,振り返れば,その活動の意味や,大切にしていることをまわりの人たちに十分に伝えきれていなかったのだということに改めて気づかされる機会ともなった.交流会を企画するにあたって,やどかりの里ともおつき合いが長く,県内の精神保健ボランティアの組織にも関わってこられた「ふれ愛おしゃべりネット」代表の小澤クニ江氏にアドバイスをいただき,やどかりの里とふれ愛おしゃべりネットとの共催という形で,参加の呼びかけをさせていただいた.
当日は17名の方の参加があり,さいたま市内に限らず,鴻巣市,川越市からも多くの方が足を運んでくださった.中にはこれまでに作業所の立ち上げや運営にお力添えいただいた懐かしいお顔もあり,やどかりの里との出会いや思い出なども話された.前半,それぞれの活動の報告や意見交換を行い,ささやかながら感謝の意を込めた手作りの昼食を囲みながら,和やかな雰囲気の中での交流会となった.後半は,やどかりの里の活動の広がりをメンバーの暮らしぶりを通
して説明させていただき,皆さんからのご意見をいただいた.
その中で,改めて感じたことは,グループホームの人たちの食事会に顔を出したり,おしゃべり相手に訪問したりと活動場面
に限らずメンバーの生活場面に自然と交わってきてくださっていたということであった.やどかりの里の人でないからこそ話せる事もあれば,年齢が近いことで安心感を得てつきあえる関係を築いているのだろうと伝わってくるようなエピソードを聞かせていただいた.これは,やどかりの里の資源づくりや,サービスの提供だけではカバーすることのできないものであり,地域で生活する上での支え手として,ボランティアの方々の存在やその関わりの大きさを改めて感じ取る事ができた.
さらに印象的だったのは「ボランティアを楽しくするには職員とのコミュニケーションが大切」という発言であった.何を必要とされ,何ができるのか,そのニーズの一致が非常に大切だということも話されていた.そして,このことは参加したボランティアの方たちから,私たちやどかりの里の職員へのメッセージでもあった.
やどかりの里の職員も11名が交流会に参加した.このメッセージをそれぞれがどのように受けとめ,今後の活動にどのように活かしていくのかが問われ,また期待されているのだということが伝わってきた.
現在さいたま市内にはいくつかの精神保健福祉ボランティアグループが存在し,それぞれに活動をしている.また,それらに所属しなくとも個人で活動に関わっている人も多い.さいたま市内の関係機関のつながりが,同時にボランティアの横のつながりにもなっていくような機会を,今後も継続して企画していきたい.
(大澤 美紀)
機関紙「やどかり」10月号より
市内小規模作業所の連携
安心して働ける場を守るために
平成15年9月12日,さいたま市社会福祉協議会浦和地区センターにて,「さいたま市精神障害者小規模作業所連絡協議会」(以下連絡協議会)の発会式が行われた.さいたま市は平成15年に政令指定都市となり,作業所や社会復帰施設に関する窓口も市へと移った.作業所ではこれまで県レベルの集まりしかなかったが,今後を考えると市内で連携し,横の繋がりを深め,互いに学習,市に向けての要望活動を展開していくことが必要である.現在市内では17ヶ所の小規模作業所が活動しているが,当日はその内16ヶ所の関係者が集まり,会の発足と市への要望について話し合われた.
埼玉県における小規模作業所の歴史的背景については,本紙5月号を参照頂きたい.さいたま市内は作業所の数も多く,様々な形で生活の支援を受けているメンバーも多い.しかし,どの作業所も共通
して抱えるのが施設運営の厳しさである.メンバーにとっての居場所,人と繋がれる場,働くためのステップの場,暮らしの中で様々な支援を受けられる場,人によりその意味は違えどそこは貴重な行き場所となっている.また,どこも手工芸品製作,内職作業,お弁当作り,リサイクル品販売,喫茶店等事業を展開しながら,施設運営やメンバーの工賃捻出を図っているが,施設を維持していくためには行政からの運営費補助は不可欠である.現在さいたま市では年間500万円(定員10名以上)の補助しか出ておらず,施設家賃等の経費や,職員人件費を考えてもとても十分とは言えない.埼玉
県内を見ても,ここ数年で市独自に運営費や家賃の補助を実施する地域が増えている.さいたま市は政令指定都市となり,県と大部分同じ権限を持った.しかし,市独自の補助や施策は未だ見られない.
今回,同じように厳しい運営状況にある市内の作業所同士が集まり,連絡協議会の発足に至った.準備の段階では,平成16年度の市の予算検討が開始される時期とも重なり,早急に会を作り要望を出そうとの声もあった.また,要望活動というきっかけで数の多い作業所同士が結束できるチャンスだと話す人もいた.メンバーの生活支援を考えれば,小さな資源がばらばらとあるのではなく,互いにしっかりと繋がることは大切である.会では発足にあたる世話人を選出し,世話人で,全体で数回の集まりを持ちながら準備を進め,発会式に至った.
当日の会では,程近い地域で活動しながら初めて顔を合わせる作業所同士もいたり,内職作業に奮闘して自分たちの活動維持に一杯で行政や全体の動きが分からないと話す作業所職員もいた.また,設立総会後には要望内容の検討も皆で行い,実際に家賃補助や福祉手当等の補助がついたという他市の情報を話したり,他障害と比べて精神障害者施策は遅れており,精神障害分野も他障害と同レベルに引き上げて欲しいとの意見も出た.
これまでともすると施設運営やメンバーへの支援等様々な問題を個々の作業所で抱えていた現状もあったであろう.連絡協議会ができたことで,今の施設の状況を地域全体の問題として捉えて,学習し,訴えていくことができる.この連携を大切にして,作業所のあり方を考えていかなければならないと切に思う.
(高村 美鈴)
機関紙「やどかり」10月号より
平成15年度関東社会就労センター研究大会
「支援費制度下での社会就労センターのあり方・課題を考える」
「労働」について考える
9月9日〜10日,彩の国すこやかプラザ(さいたま市)で,平成15年度関東社会就労センター研究大会が開催された.テーマは「支援費制度下での社会就労センターのあり方・課題を考える」.関東6都県だけではなく,静岡県,長野県も含んだ関東社会就労センターであり,参加者も200名近くとなった.
やどかりの里からは,やどかり情報館の増田一世が研究大会の実行委員として総合司会,黒崎夢が当日の係員としてカメラマンを務めた.
また通所授産施設食事サービスセンター「エンジュ」の香野恵美子が参加し,メンバーの武田あゆみが体験を発表した
.
やどかりの里が埼玉県社会就労センターに直接関わり始めたのはこの2年ほどである.増田が理事となって,総務委員会に所属し,香野が委員会に所属し,それぞれ活動している.今年度は,関東社会就労センター研究大会が埼玉
県で開催されることになり,増田はその実行委員会にも参加してきた.
プログラムは,1日目に厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部障害福祉課課長補佐:就労支援担当の関口彰氏による「障害者の就労支援について」の講演,3つの分科会,会場をラフレさいたまに移しての交流会.2日目は利用者からの発言,続いてシンポジウム「支援費制度下での社会就労センターの現状と課題」,そして「障害者の世界を描いて」と題して漫画家の山本おさむ氏の記念講演が行われた.山本氏は沖縄のろう学校の生徒たちの野球部の活動を描いた『遥かなる甲子園』,また埼玉
県のろう重複障害者の生活施設『どんぐりの家』の人々の姿を描いたさいたま市在住の作家である.障害者の世界を漫画に描くことから見えてきた障害者の世界を語った.
2日間にわたる研究大会では,支援費制度によって,社会就労センターのあり方がどのように変化したのか,あるいは変化させないように努力してきたのか,ということを中心に各施設の取り組みが語られた.そして,障害を持った方々の働く場を提供している社会就労センターの今後の課題が,さまざまに提示された.これらの議論から,精神障害者の働く場の活動を展開するやどかりの里にとっても考えさせられることが多々あった.
ことに社会就労センターのあり方検討委員会最終報告(2003年2月)では,「社会就労センターでの継続的な就労は『労働』そのものであり,障害者の働く権利を積極的に保障・拡大する観点から労働基準法(最低賃金法,労働者災害補償保険法,労働安全衛生法)を適用することを提案する」としている.やどかりの里にひきつけて考えれば,エンジュで働くメンバーを労働者として認め,その権利を守っていくのだという提案である.これは,現実的にはさまざまな障壁があるが,検討すべき重要な課題であろう.今回の研究集会でも,この最終報告は,さまざまな話し合いの中で討議されてきた
.
この会では精神障害者の問題に焦点化して語られることはほとんどない.しかし,この会で討議されたさまざまな課題は,障害の違いを超えて共通
の課題がある.「労働」ということをやどかりの里の活動を通して,もう一歩進めて考えていく必要性を実感している.
(増田 一世)
機関紙「やどかり」10月号より
精神障害者社会復帰施設施整備費問題を考える7.22緊急集会報告
7月22日(火),精神障害者社生復帰施設整備費問題を考える緊急集会が永田町で開催された.主催者の予想をはるかに越えた600名超が全国から集結.やどかりの里からも,10名が参加し,市内県内の見知った人々も多く集まった.
平成15年4月から,72,000人の社会的入院の解消等をうたった国の新障害者基本計画・新障害者プランがスタートした.地域で精神障害者が暮らす仕組みをどう形作っていくのか,国や厚生労働省の姿勢に注目が集まっている.本当に中身のある計画やプランになるのか,精神障害者の人権を守っていけるのか.一方で国の予算が足りず徐々に補助金の減額も現実となってきている今,先の見えない不安が広がっている.
そのような状況下の6月,「今年度の精神障害者社会復帰施設設備整備費は,申請があった分のうち2割台しか認められない」と厚生労働省が突然発表した.昨年度も一昨年度も特別
の事情がない限り都道府県などから申請分のすべてが採択されてきたのにである.
全国161ヶ所で精神障害者社会復帰施設を新設する準備をすすめていた.各現場では,最終的に国の認可が決まるのを待っていた.それまでに,地域住民の同意や自己資金の確保にエネルギーを費やし,自治体との調整など国が必要だという準備をすべて満たしていた.
ところが,前述の厚生労働省の発表により,国が採択したのは38件のみ(7月22日現在)に留まり,不採択となった123ヶ所(76.3%)が中に浮いてしまったのだ.
このあまりに突然な非常事態に,精神障害者関係の5団体が立ち上がった.準備を重ねてきたすべての施設の復活採択を求め,今回
の緊急集会を開催.主催する実行委員会を構 成するのは,(福)全国精神障害者社会復帰施設協会,(財)全国精神障害者家族会連合会,(NPO)全国精神障害者地域生活支援協議会,日本精神保健福祉士協会,きょうされん.
集会当日は,今回不採択になった全国の8ヶ所の現場からの報告を主とした緊急集会を経て,「社会復帰施設の拡充を求めるアピール」と題した要望書を集会参加者一同の名前で代表が国会と厚生労働省へ提出.また,厚生労働省前でもアピールするべく集会を開いた.
現場からの報告では,「あまりのことで協力者や利用者にどう説明すればいいのか」,「施設が形にならなければ,信用してもらえない」,「土地の確保に既に資金をはたいている」と,困惑がひしひしと伝わってきた.特に,精神障害者社会復帰施設の予算は繰越金や補正予算で賄っている事実に憤りを覚えた.正規の予算でないということは,不足したら予算を組まず,切り捨てるということだ.
さらに今回重要だったのは,この緊急集会を主催した5団体が,一致団結して行動したことである.これまでは,団体を超えた活動には至らなかった.その思いは,集会の中で何度となく語られた「今日が始まりである」という言葉に込められているように感じた.
緊急集会後,新たに40件が採択された.しかし,それで全てが解決したことにはならない.事実を見極め,粘り強い地道な運動を続けることが必要であるのだろう.
緊急集会に参加し,全国各地で様々な組織が存在し,新しい活動を生み出そうとしている人々が多くいることを改めて知った.ひとつひとつの活動の形は違っても,「精神障害を持っても暮らしやすい社会を」という目標についてこんなにも大勢の同志が居ることを心強く思った1日だった.
(檜山うつぎ)
機関紙「やどかり」9月号より
心理と福祉のかけ橋をもとめて
〜福祉現場での合宿形態による臨床心理実習〜
臨床心理士を目指す実習生は,やどかりの里で何を見,何を感じ,何を得ていかれたのか興味津々だった.心理と福祉,分野は異なるがどちらも人と関わる仕事である.これからも,多くの人たちとの出会いやふれあいを大切に,違う足場でも共に活動していきたい.
足立 和城 さん
一般的に大学院の臨床心理実習は,大学の付属病院や精神科のある病院,個人開業の心理相談室等で行なうのだろうが,我々は自宅近隣に適当な実習先がない等,幾つかの要因があり,いわば消去法でやどかりの里を紹介された.やどかりの里の事を知ったのは,その時が初めてだった.こう書くと随分失礼な書き方になってしまうが,心理を学ぶ者にとって福祉の世界は,近そうで案外遠いのが現実だ.だからこそ実習した4人は,偶然にも,ありきたりの心理の世界からは知り得ない実習先を紹介して頂き,他の院生ではできない実習を受けることができたと思っている.
実習では,否が応でも心理と福祉の異同を考え続けることになった.同じ「人と接する,話をする」という行動でも,福祉と心理とのフィールドにおける接し方はずいぶんと違うもので,それは実際に身をもって体験してみなければなかなか理解できないものだった.やどかりの里では,汗や涙や,笑いや食事や排泄や,空間や時間,全てものが「やどかりの里」を形づくる要素になっているように思える.福祉は「その人の生活」そのものと関わることで,心理のように「面
接やテストをする非日常の1場面」をつなぎ合わせていくような関わりではないと感じた.当たり前のようだが,この違いは実際に経験してみないとなかなか分からなかった.もちろん,どちらが良い悪いと言うのではなく,違いを自分の五感で感じられたということが,これから心理を学んでいく上で何よりの成果
だったと思う.
今回,臨床心理士として,福祉のフィールドで活躍される柳先生や,武智さんからも貴重なお話を伺うことができた.お二人に共通
していたのは,メンバーや,やどかりの里を本当に愛しておられるということだった.そこには,心理だ福祉だという学問的な違いなど問題ではなく,自分が持っているものを全て注ぎ込むような迫力を感じた.また実習中,柳先生はもちろん,やどかりの里のあらゆる部署の方に力をお借りした.なによりも嬉しかったのは,不揃いで怪しげな年格好の我々を,誰一人訝しがることなく,自然体で受け入れて下さったことだった.どこへ行っても,気を遣うことなく,その場になじませて頂き,その場その場の自然な空気を学び取ることができた.これこそ,茶の間を大切にするやどかりの里のポリシーなんだなと,今感じている.
まさに奇遇で知ることとなった「やどかりの里」から教えて頂いたことは,たくさんありすぎて,すぐには消化しきれないが,必ず身につけて,大学院を修了したいと思う.
嶋津壽々子
さん
待望の実習を終えて一週間,まだ余韻さめやらぬ現在.各地域生活支援センター,作業所を訪ね,諸会議に参加させて頂いて,期間中に触れ得たのは30年の歴史ある「やどかりの里」の片鱗,職員やメンバーの方々の日々のご苦労や悩み,思いの一端に過ぎないと自覚しつつ,2つに絞って感想を書きたい.
まず,精神障害・地域支援・福祉領域といった机上で学んだ言葉が,充分と言えないまでも実を伴うものになった.精神病の理解は,発症後の生活・人生までを含めたものでなくてはならないと思った.メンバーからうかがった話や,職員の方々が多様な仕事をこなされる一方で研修も重ねておられる姿に,地域支援とひと言で表される内容の幅の広さ,深さ,難しさ,さらに関わる「人」のあり様へと視野を広げていただいた.
もう一つの収穫は,「茶の間」の空気に身をゆだねて,私自身の仕事を見直せたこと.高校の相談室を週1回開放し,心地よい空間作りを心がけてきたので,身近にある憩いの場,その人そのままを認め合える仲間たち,自分に合った生活のペースと仕事等,「競争優先の社会ではない社会」を課題にされるやどかりの里の実践は,私の肌にすんなりとなじんだ.効率や合理性・結果
優先でない安心できる環境が保証されると,仲間が生まれ,相互に成長し合ってゆく,その過程は場は異なっても共通
するものがあった.人間の成長・発達に必要なものを確認でき,元気をもらって新たな気持ちで仕事に向かっている.
平竹 晋也
さん
私は普段,小児科の勤務医をしている.一般病院で小児の診療にあたっていると,成人の精神障害者に接する機会はほとんどない.今回の実習は非常に経験深いものとなった.
医学生時代に病院実習で精神科を回った程度の経験しかない為,これまで精神障害者というと入院している重症患者さんのイメージが強かった.やどかりの里の実習で,病気自体のコントロールは比較的良好でも附随する様々な事柄でなかなか社会復帰できない方が多数おられるという現実に,今まで気付こうともしなかったことを思い知らされた.
医師が患者さんと接するのは病院の中だけだ.すると,患者さんとは病院にいる人という感覚を抱いてしまいがちになる.しかし当たり前のことだが,ご本人にとっては,家にいても,町に出ても,食事していても,寝ていても絶えず病気がついてくるということを改めて強く感じた.退院後の患者さんの生活一般
について何らかの働きをするというのは医師の範疇を越えているかもしれないが,患者さんの日常に思いを馳せずに診療することは医師として充分ではないと痛感した.
臨床心理学を学ぼうと思ったきっかけは,もともと小児の悪性腫瘍を専門にしていたのだが,病気は克服できてもなかなか社会適応しにくい子どもを何人か見てきたからだ.慢性疾患患児の心理ケアに関心を持ってのことだった.今回の実習で知ったこと・感じたこと・学んだことは今後の私の仕事に大きな財産となると思う.
岩田 智和
さん
生活支援センターや作業所等を訪問し,研究会や講師派遣学習会等に参加させて頂き,充実した時間を得ることができたように思う.
今回の実習中,メンバーの方々が突然の来訪者に暖かい声をかけてくださったり,場の中に自然と招き入れてくださり,私自身とてもリラックスさせていただいた.これまでにメンバー,スタッフ,そしてやどかりの里が築き上げてきた世界観が人を和ませているのだなと体感した.またメンバーの方々からご自身の病気,障害,これまでの人生,そしてこれからについてお話しをうかがい,障害の有無ではなく人が人として生きる「生き様」について考えさせられた.これらの経験を今後の職務そして私自身の生き方に反映させていきたいと思う.
やどかりの里での実習を終え,山,川,海に囲まれた和歌山県の新宮市へ戻って来た.同じ日本と言えども気候,風土,文化もさまざまだ.この広い日本の中で偶然か必然か,やどかりの里の皆さんにお会いできたことを大切にしたいと思う.
機関紙「やどかり」9月号より
自治会活動と納涼盆踊り
8月16日(土),染谷自治会主催の夏祭り盆踊り大会が,染谷自治会館で開催された.前日からの大雨で,会場をグランドから自治会館の中へ移しての開催であった.あいにくの天候ではあったが,参加者は思いの外多く,会館内は足の踏み場がないほどの賑わいであった.
やどかり情報館は今年度より,染谷自治会から総務・企画部長を引き受け,自治会活動に参加している.自治会の執行部と役員,専門部からなる夏祭り実行委員会にも,宗野政美が代表して参加してきた.この実行委員会への参加は,私にとって,多くのことを学ばせてもらう貴重な経験となった.
第1に,住民自治を肌で感じることができたことは貴重であった.住民自治の基本は,誰かにやってもらうとか,待っていれば誰かがやってくれるというものではない.自らの意思に基づき,自らの責任において,地域住民が決定し,行動していくことが住民自治の基本であることを学んだ.
第2に,やどかり情報館として自治会活動に参加し,私自身が,染谷の住民の方々と向き合う機会が持て,話し合ったり,一緒に汗を流すつきあいを始めることができたことは,大変意義あることであった.
第3に,やどかりの里が「地域」あるいは「地域における生活」と言った場合,多くはメンバー自身の生活圏を指してきた.実は,スタッフや関係者にとっても,1日の大半を過ごしている場所でもあり,その地域で暮らす一員なのである.「私たちが暮らす地域を考える」という発想の転換が私の頭の中でなされたことは,大変意義あることであった.
最後に,自治会活動は,障害の有無に関わらず,一人の地域住民として,地域づくりに意志が反映できるということを再認識したことは,これからの地域活動の展開に示唆を与えられた.やどかりの里の各活動で積極的に自治会の役員を引き受け、活動を展開してみてはどうだろうか.
それにしても,盆踊りをこれほど楽しんだのは30年振りだ.住民の方々と創り合えた充実感が,より感情を高ぶらせたのは確かである.これまでにはないひと夏の経験をした.
(宗野 政美)
機関紙「やどかり」9月号より
埼玉県精神障害者社会復帰施設運営協議会総会
6月25日、埼玉県精神障害者社会復帰施設運営協議会(以下、埼精社協)の総会が開かれた。当日は、県内の各社会復帰施設から約50名の人たちが参加した。埼精社協は、埼玉
県内の精神障害者社会復帰施設の集まりで、埼玉県内の精神保健福祉の向上を目的に、社会復帰施設の運営上の課題など出し合い、地域福祉の質の向上、職員の質の向上などを目指して活動を進めている。
埼精社協は宿泊部会、労働部会、生活支援センター部会、研修委員会、調査研究委員会の5つの部会で構成されている。それぞれの部会が県内の社会復帰施設の状況や抱えている課題を明らかにし、その中で埼精社協全体としての課題も明らかにしつつ取り組みを進めている。ここ近年は、各々の部会が活発になるに伴い、また、国の動きが大きく変わろうとする中で、埼精社協が取り組むべき課題も明らかになってきている。
先日、精神障害者社会復帰施設の新規施設整備費の削減が突然公表された。今年度新設を計画している社会復帰施設のうち、およそ2割しか認められてない状況である。土地確保のための資金づくり、地域住民への働きかけ、公有地を貸与するまでの自治体の努力など、現場での混乱と憤りは計り知れないものがある。
埼玉県内の状況をみても、県内41ヶ所の社会復帰施設のうち、その設置状況はいくつかの地域に集中して設置されているなど偏在している状況である。また、ここ数年の間には新しく新設する生活支援センターも増え、埼精社協の取り組みが始まった1999年は生活支援センターの設置数は13ヶ所だったが、2003年の現在では19ヶ所に増え、今後新たに設置を予定している団体も数多くある。
しかし、今回のこうした国の動きは、各地域の精神保健福祉の向上を目指す取り組みにストップをかけるものになりかねない。埼精社協としても、こうした動きに対して問題解決を図る取り組みをしていく必要に迫られている。埼精社協が始まって4年。それぞれの部会の活動が活発になる一方、国の動きに対しても、埼精社協として意見が言える団体としてまとまっていくことが今後必要になってくる。
こうした埼精社協への参加は、やどかりの里としても重要な取り組みである。現在、やどかりの里は自己完結の活動づくりからの脱却を目指し、様々なネットワークをつくりながら活動を進めようと悪戦苦闘している。埼精社協への取り組みも、ネットワークづくりを進めていく上での大切な活動のひとつとして捉えている。関係団体との横のつながりをつくっていくことは、精神保健福祉の向上を目指し、私たちの声をどう施策へと反映させていくかという取り組みでもある。
そして、国の激しい動きの中、それぞれが自分たちの身近な地域で仲間をつくり、声をあげていく取り組みをしていかない限り、日本の精神保健福祉の未来はないだろう。そうした厳しい現状にあるからこそ、埼精社協としてこうした問題にどう取り組んでいくのか、また、やどかりの里としてもどう地域で運動の波をつくっていくのか、今私たちの姿勢が問われていることを感じる。
(三石麻友美)
機関紙「やどかり」8月号より
やどかり研究所サロン報告
良い看護とは,人間のあり方とは
〜ジェフリー=ハントさんをお迎えして〜
今年度の第1回目のやどかり研究所サロン(やどかり研究所主催)は,7月4日(金)に,英哲学者のジェフリー=ハント氏を迎えて,やどかり情報館ホールにておこなわれた.
今回,ハントさんをお迎えしたのは,松田正己先生(静岡県立看護大学)の紹介によるものである.ハントさんはイギリスで「ケアの哲学」の専門で,哲学者として初めて国家保健サービスが雇われた方であり,現在看護・医療関係者の日常の悩みを哲学にのっとって相談にのるという,ユニークな活動(NPOとしての活動である)をしている.7月に来日される際,やどかりサロンのゲストとしてお招きしたらどうかという提案があり,実現したものであった.
当日,まずは日本の精神保健福祉の一端を見ていただき,そのうえでお話をうかがうことになった.やどかりの里援護寮,授産施設,生活支援センター,やどかり情報館,大宮厚生病院を見学された.
サロンにはやどかり研究所の会員を中心に約40名の参加者が集まった.
今回のサロンでは,ハントさんのお話を聴くだけではなく,ハントさんの経験からの指針,ご意見を,私たちの投げかけに応えていただきながら「響き合わせる」ディスカッション形式となった.日頃自分たちが抱えている問題や疑問が次々と投げかけられた.
その中で特に印象深かったのは「良 い看護,ヘルスケアとはなにか」といっ
た香野英勇さんからの質問であった.香野さん自身の,精神病院での経験を踏まえての発言であった.
ハントさんは「まずは香野さんが苦しい経験をされたことが重要である.西洋では健康や人生において,完全を求める.西洋哲学では,より良い健康はよりよい人生になる.あくまで健康は手段であるという考え方だ.その応用が,良い看護=良い人間である.しかし今の医療では,病院のシステム通
りに動くものが,良い看護になり,良い人間は求められていない.だが看護師たちも,そのシステムに乗っけられた被害者なのだ.そこで,共に考えていく市民グループ・仲間をつくっていく必要がある」と答えた.香野さんは「ハントさんのお話を受けて,今後のヴィジョンがみえてきた」と語った.
最後に土橋理事長より「主義主張ではなく,生きるものが共生していくという東洋哲学を捉え直すことが改めて必要なのではないか,人間である生きものとして共生し,それをネットワークとしてつなげていくことが大事なのではないか」とのコメントが寄せられた.
参加者それぞれが,今後の活動への熱い思いを改めて確認することができたサロンであった.
(工藤 菜乃)
機関紙「やどかり」8月号より
お知らせ
NHK教育テレビの番組取材
やどかりの里のメンバーや活動がテレビで紹介されます.
日時 2003年9月13日(土)午後6時〜
2003年9月15日(月)午前5時30分〜(再放送)
番組 NHK教育「きらっといきる」
日本精神保健福祉士協会全国大会に参加して
去る5月30,31日に仙台市に於いて第39回日本精神保健福祉士全国大会,第2回日本精神保健福祉学会が開催された.やどかりの里からは増田一世,高村美鈴,白石直己が参加,工藤菜乃が出版の販売を行った.ここでは参加しての感想を中心に報告する.
大会テーマは「PSW協会の歴史から我々のこだわりを問う」であった.シンポジウムでは協会の歴史をたどりつつ,精神保健福祉士としての視点,立場性がどのように確立してきたかを振り返った.歴史の中から改めてPSWの専門性を問うのが今回のシンポジウムであった.精神保健福祉士の資格化に伴い協会の会員数も急増している.PSWとして何を大事にし,どのような共通
基盤に立って活動を作っていくのかが協会自身問われているのだということを感じた.
分科会は地域での活動の報告が多い分科会に参加した.それぞれに試行錯誤しながら活動を作っていることが報告された.中でも埼玉
県内の東武丸山病院と生活支援センターふれんだむが協力して進めた退院促進事業の報告は興味深いものだった.医療法人と社会福祉法人という立場の違いを越えて,社会的入院の解消を目指し両機関のPSWが手を組んだ事例の報告であった.社会的入院を精神障害者の人権侵害の問題と捉え,共通
基盤を作りながら実践を展開してきた姿勢に共感した.同じ県内の報告であり,また,やどかりの里が新規プロジェクトとして取り組み始めていることに重なる内容でもあり,身近に感じられる報告であった.
この報告についてはフロアからの関心も高く,質問が相次いだ.立場性の違いを越えて自分たちの活動している地域を意識して実践を展開していくことが大切だと会場全体でも確認できたように思う.
また,1日目の夜の懇親会では岩本正次先生が乾杯の音頭を取られた.岩本先生は日本で最初に仙台の病院でPSWになった草分け的存在であり,やどかりの里の初代理事長でもある.80歳を過ぎた今もお元気なご様子であった.おりしも,やどかり出版から「意識生活学の提唱 岩本正次の世界」が上梓されたところで今回の大会で発売開始となった.1960年代の医療一辺倒の時代に患者としてではなく,生きている人としての「生活」に注目した論稿を収録している本である.「病気」ではなく「生活」を見据えた先駆性,精神医療に対する見方など,本書から学ぶことは大きい.PSWのあり方を問われている今こそ必要な本である.本書の内容が今回の大会テーマとも重なって私には感じられ,改めて諸先輩方の歩みに思いを馳せる機会になった.乾杯の挨拶で,1964年に協会の前身である日本精神医学ソーシャルワーカー協会がここ仙台で設立されたことなどを話される岩本先生の姿に,歴史の重さを感じた夜であった.
総会では役員改選があり,門屋会長から高橋会長へバトンタッチされた.新障害者プランの開始,心神喪失者医療観察法案の参議院通
過,ACT−Jの導入など激動の時代の中で,時代の流れをどう読み,協会の方向性をどう見定めていくのか,新体制に託されたものは大きい.法人化の問題,増加した資格者の共通
基盤づくりなど協会として取り組まなければならない課題も山積している.社会の動きと対峙しながらPSWとしての実践をどう展開していくか,厳しい時代を切り拓く難しさを感じた大会であった.
(白石 直己)
機関紙「やどかり」7月号より
食事サービスセンターエンジュ調査研究の取り組み
お弁当利用者の調査に向けて
〜在宅介護支援センターの方をお招きしてお話を伺う〜
エンジュは,平成9年7月にスタートし,今年で7年目を迎えた.高齢者等食事づくりに困っている方にお弁当をお届けしているが,それがお弁当の利用者にとってどのような役割を果
たしているか知りたいと考え,やどかり研究所に協力依頼をし,調査研究に向けての取り組みが始まっている.
まず,調査を試みようとした背景について触れたい.そもそもは,エンジュの活動をまとめ,今後のビジョンを描きたい,という思いが出発点だった.現在,昼食は個別
宅配と仕出しで80食,夕食はさいたま市宅配食事サービス事業の委託分と援護寮等への提供で80食のお弁当を作っている.1度の調理に100食,という規模を想定して作られた厨房もフル稼働の状態である.働くメンバーも増え,当初の事業計画にほぼ達した感があった.昨年度,活動を見直す話し合いを持ち,エンジュで働く思い等を出し合うとともに,お弁当利用者の男女比等基礎的なデータを洗い出した.そうした中で,事業の柱である食事サービス自体お弁当利用者にとってどんな有効性があるのか,確認したい,と思うようになったのである.とはいえ,調査の手法も分からず,日常業務に追われる現場だけで取り組むには無理があった.
そこで,2002年11月,やどかり研究所運営委員会で,エンジュのお弁当利用者の調査について協力を依頼した.翌年3月には,エンジュの活動の様子を共有しようと,研究所サロンで,エンジュの活動報告をさせて頂いた.以降,調査チームをつくり具体的な検討の機会を持っていくことになった.
調査チームでは,4月に第1回目の話し合いを持った.調査のフレームワークづくりにあたり,調査で何を明らかにし,結果
をどう活かすか(目的)により,手法も異なることやその枠組み等について共有した.そして,まずは高齢者の暮らしについての学習をしてはどうかと提案が出,エンジュとも接点がある大宮大和田在宅介護支援センター長(介護支援専門員)小川文江さんにお話を伺うことになった.
学習会は6月7日に研究チームの面々が出席し行われた.また,同介護支援センター社会福祉士の牛山淳子さんも同席して下さった.
小川さんのお話の内容は,とても具体的であり,お年寄りの姿が眼に浮かぶものであった.介護支援センターで相談を受け,訪問すると,その人の状況を目の当たりにする.物が散らかって足の踏み場もない,食べ物が食い散らされている,汚物がそのままになっている…….なぜ,そこまで至るのか?と思うが,その状態に至るきっかけは,老夫婦世帯で奥さんが痴呆になったり,どちらかが亡くなり家事に手が負えなかったことだったりする.また,老化で身体の機能が低下したり,老人性うつにかかり動けなくなったりするというお話を伺い,そのような状況は,誰にでも訪れ得るものだと思った.そして,小川さんは,どういう状況でも,とりあえず食べていれば安心だという.まず食事,と緊急性の高い人はごく一部であるそうだが,1食でも栄養バランスのとれた食事がとれれば,そこから少しずつその方に応じて改善していけるそうだ.お話を伺うことを通
して,高齢者の暮らしをイメージすることができた.感謝したい.
調査については,まだまだ準備段階であるが,これらのプロセスの中で,エンジュを地域の一資源として,部分として考える意識が深まったように思う.引き続き検討を重ねていきたい.
(香野恵美子)
機関紙「やどかり」7月号より
会員の皆様へのお願い
身近な図書館にやどかり出版の本を
「やどかりブックレット・障害者からのメッセージ」が10冊揃う
日頃よりやどかりの里,やどかり出版にご支援,ご協力いただきありがとうございます.やどかり出版は,やどかりの里の活動を記録化することから誕生し,以来30年近く出版活動を継続してまいりました.1997年からは精神障害者福祉工場「やどかり情報館」の一部門として,精神障害者が労働者として働く出版社となりました.出版点数も徐々に増え,大手出版社では出版できないような小部数出版も手がけ,地域の地道な取り組みを紹介してまいりました.
やどかり出版の課題の1つは,その営業力にあります.昨年からやどかり情報館の中で販売促進会議を定期的に開くようになりました.販売促進の第一歩として,一般
書店に置いていただけるようにお願いに歩いております.その結果,いくつかの書店でやどかり出版の本を置いていただけるようになりました.
さいたま市内
須原屋本店(浦和駅西口),書楽(北与野駅前),ジュンク堂(大宮駅Loft8階)
東京都内
ジュンク堂池袋店,芳林堂6階(池袋駅西口),書泉グランデ, 三省堂(神田神保町)
模索社(新宿御苑)など.
ぜひ書店でやどかり出版の本を手にとって見てください.
しかし,書店への営業活動は始まったばかりです.多くが,やどかり出版からの直接販売,やどかりの里の関係者が各地で講演する際の販売,やどかりの里への見学者が購入するなどです.やどかり出版がどんな出版社でどんな本を作っているのか,なかなか多くの方々に知っていただく機会がありません.
出版物は,人の目に触れて始めて出版物にこめた著者の思い,作り手の思いが人々に伝わります.そして,やどかり出版の本にこめられた「障害を体験した人たちの新しい生き方」「従来の競争優先,効率優先ではないもう一つの価値」「1人1人の思いや願いを大切にした活動展開」等々のメッセージを届けることができるのです.そして出版物が多くの方に読まれ,その結果
やどかり情報館で働く障害者の賃金が確保され,豊かな暮らしの実現に一歩近づくのです.
やどかり出版の本が多くの方の手にとって見ていただける機会を作り出すために,次のようなお願いをさせていただきます.
皆様の身近な図書館でやどかり出版の本を注文してください.
ことに本紙でもたびたびご紹介している「やどかりブックレット・障害者からのメッセージ」のシリーズが『結婚 和子と進のラブストーリー』菅原和子・進著をもって10冊目となりました.
企画,取材,テープ起こし,制作,印刷,製本の全ての過程にやどかり情報館で働く障害の体験を持った従業員と専門技術者が二人三脚で従事しています.このシリーズはやどかり情報館の6年間の蓄積による大きな財産です.多くの方々にこの本の存在を知っていただきたいと願っております.身近な図書館に足を運んでください.
(やどかり出版 増田一世)
機関紙「やどかり」6月号より
やどかり研究所主催第3回学習会
人は生き直していくことができる
去る5月24日(土)やどかり情報館にてやどかり研究所主催の学習会が開かれた.この学習会は,やどかりの里の原点を学ぶ学習会として2001年から開催され,今年は第3回目となる.
やどかりの里は活動を開始して,約33年が経過する.その間,財政危機にみまわれながらも活動を継続させ,精神障害者がひとりの生活者として暮らしていけるよう様々な取り組みを重ねてきた.その時々に活動に携わった人たちの思いがあってやどかりの里は存続し続けてきたといえる.これからのやどかりの里を担っていく私たちが,活動に携わった人たちの思いを知り,やどかりの里の原点を学び,そしてこれからの活動へと結びつけていくことが大切である.学習会はそうした目的で始まった.
第3回目となる今年は,やどかりの里の創設期にかかわった柳義子さん(現在やどかり塾担当)を講師に迎え,『やどかりの里草創期の群像 新しい世界を求めた宮千代芳子さんを語る』と題して開かれた.当日は約70名の人たちが参加し,中には新潟県から参加してくださった人もいた.
今回は,やどかりの里を創設する際の原動力ともなった宮千代さんを,当時新人の臨床心理士だった柳さんが当時の思いや精神医療状況も織り交ぜながら語ってくださった.柳さんは冒頭,「失敗や駄
目な出来事も出直すことができる,そう信じることができた私の原点の人である」と宮千代さんのことを表現し,「物言わぬ
人の存在を伝えたい,感動を伝えたい,そうしないと自分が何かやり残したのではないかと思えてならない」と,今回の学習会への思いを語った.
その後,1970年当時の精神病院の状況,親の価値観から自らを解放し自分らしく生きていくことへ挑戦していく宮千代さんの生き様,そして当時は珍しかったデイケア開設に賭けた様々な人たちの思いなど,約1時間半にわたって語ってくださった.そして,「人に夢を見させる力は,感動させる能力と感動を感じる能力だと思う.宮千代さんにとってデイケアは,弱さも含めてすべてを受け入れてくれる仲間集団に初めて出会えた空間だったのでは.いいところも悪いところも含めて私,という自分の基準で生き直しを許される場でもあったのではないか」と締めくくった.参加者からも様々な感想が語られた.
人はみな,自分らしく生きていこうと葛藤する.そして生き直していくことができる.自分らしく生きたいという強い思いが周りの人たちに感動を伝え,またその思いが響き合ってやどかりの里はつくられてきたのだろう.そしてこれからもつくられていく.
今回の学習会を通して,歴史から学ぶことの大切さを実感した.人間が生きてきた足跡には必ず意味がある.組織も同じである.その時々に組織を築いてきた人たちの思いがあり,思いが理念をつくり,そして未来へとつながっていく.今をつくり,これからを見通
す私たちが歴史から学ぶ意義は大きい.
今回の学習会は,一人一人が未来へとつながる原点を感じた学習会だったのではないだろうか.
(三石麻友美)
「おめでとう」そして「ありがとう」
「まあ柳先生,今日は素敵」と玄関でお会いした瞬間,思わず私は声を上げていました.「そう芳子さんのためにおしゃれしてきたのよ」と先生は答えてくださいました.この日の先生のスタイルは,白いブラウスの襟をきりりと立て,銀のペンダントが緩やかに揺れて光る晴れやかな,組み合わせでした.「私も,パーティドレスというわけにはいかないけど,精一杯と思って」と言いながら,妹の私と同じように思ってくださる方が,ここにいてくださると思っていました.
40年代の精神病院の状況が次々と話される中,膠原病という難病に罹っていたからこそ共感度を持って編物教室の講師をしてくださった大島先生のこと,この先生に大宮厚生病院の小島先生が謝礼を払われていたこと,これが後のデイケアの石杖になっていること,事務長さんが書道を教え,その娘さんも茶道をボランティアで教えてくださっていたことなど,初めて知ることも多々ありました.中でも麦藁帽子をかぶって園芸に出かけていく姿は,歳の離れた姉妹の行列のようで「いってらっしゃい」と手を握って送り出した話は,「花壇作業は楽しい」と姉からきていたのでほっとした話でした.
ナンバーワンになりなさいと教育され,背伸びをして,鎧を着て生きてきた姉,模範的な優等生でなければ,母の気持ちを自分に引き止めることができないと思い込み,過剰適応に陥っていた姉が,長期入院の中で,自分を振り返り,母からの自立も含め,デイケアの要求を突きつけていったんですね.そんな姉のオンリーワンのために編物教室の仲間が,積極的にデイケア準備をし,待っていてくれたんですね.
友達に心を許さなかった姉が,「そこに行けば仲間がいる.ありのままの自分を受け入れてくれる仲間が必要なんです」と叫び,「爽風会活動のために死んでもいい」と言っていたというエピソードまで出ました.繰り返す入退院の度に,友達はただ黙って手を取り涙してくれた,あるいは自分のことのように喜んでくれたことが骨身にしみ,姉は変わっていったんだと思います.だから「すごい人」,「すごい人」といわれる度に何か違うなと,感じていましたが,「すごい人」と言ってくれるあなた方によって変わっていけたんだと思います.生きなおしのできる喜びを,伝えたかったんだと思います.
それにしても,このグループ活動を,根気強く見守り育て,記録まで残してくださった,谷中先生,柳先生,増田さん達,スタッフの仕事に,改めて感謝の気持ちでいっぱいです.
当事者のありのまま,当たり前に生きたいという切迫した願いに感動し,伴走し続けてくださっている皆さんに感謝です.「捨石になってもいい」と言っていたお姉ちゃん,今日は貴女の,もう一回の誕生日だったんですね.「おめでとう」そして「ありがとう」.
(工藤紘子 やどかりの里会員)
機関紙「やどかり」6月号より
やどかりの里の体験研修を再構築
研修希望者の窓口をやどかり情報館に一本化
2002(平成14)年3月で,やどかり研修センターが閉所され,やどかりの里の各部署で,研修センターが担ってきた事業を分担してきた.中でも業務量
が多かった各地からの見学,研修の希望者への対応については,埼玉県内の希望者をやどかり情報館,県外の希望者は法人本部が窓口として対応し,やどかりの里全体で協力して受け入れを行ってきた.
これは,研修センターを閉所するにあたり,すぐに専従者を置いて事業を開始する態勢が取れなかったこと,研修のあり方を再度見直す必要があったことなどによる対応であった.
1年間の経過の中で,研修の窓口の一本化の必要性も明らかになり,そのことを中心に考えるスタッフを置くことの必要性が見えてきた.そこで,今年度からは,生活支援活動を担当する職員とやどかり出版文化事業部が1つのチームをつくり,研修の受け入れと企画を担っていくことになった.
一方で,こうした全国各地からの研修者を迎える意味も意識するようになった.全国各地で地域特性を生かした活動が形成されてきており,そうした活動に従事する方々をお迎えする中で,私たちがその方たちから学ぶことがたくさんあること.そして,研修に訪れる方々との出会いは,やどかりの里の課題の1つである横のつながりをつくるきっかけになっているのである,
また,私たちが提供できることは,単に地域に点在している活動を1つのモデルとして提示することではないと考えるようになってきた.そこで営まれている人と人との関わりやそれぞれの場所の空間と時間の流れ方,やどかりの里に関わる1人1人の生きざまや考えや思いである.このためにはやどかりの里の各部署の協力が大変重要であり,また,やどかりの里のメンバーの力に依拠するところも大きい.やどかり情報館に講師として登録するメンバーは,この研修の一翼を担っている.各生活支援センターや作業所や授産施設,憩いの家などでも,どのようにメンバーと職員が活動を創り合っているのか,そこでの問題も課題も含めて,見て,聞いて,過ごして,感じていただくことが大切なのだと考えている.
体験研修と名づけて行っている見学,研修の受け入れの基本は相互学習である.しかし,やどかりの里の32年の活動の蓄積から見えてきていることは,なるべく整理してお伝えする必要があるとも考えている.今年度は,新人職員の方に向けて,あるいは,経験5年〜10年くらいまでの中堅の職員の方に向けた集中研修を企画するなど,これまでの経験を生かした企画を計画中である.地域精神保健活動のいのちは「人」である.互いに学び合えるような研修企画を検討中である.研修についての分かりやすいパンフレットも作成中である.
(増田 一世)
体験研修を希望される方はやどかり出版文化事業部までご連絡ください.
048-680-1892 Fax 048-680-1894
担当 香野 英勇 佐々木千夏
機関紙「やどかり」5月号より
「作業所のあり方を考える会」の報告
作業所運営の厳しさ
〜安心して働ける場を守るために〜
近年,ようやく様々な精神障害者の福祉関連施設が国の法律に組み込まれ,補助金が交付されるようになった.その中にあって,未だ法外施設なのが小規模作業所である.
その歴史は,精神障害者のための地域資源が皆無だった昭和40年代からで,家族会や地域の関係者等が設立・運営したのが始まりと言われている.埼玉
県においては,昭和55年以降家族会が運営主体となった作業所が徐々に増え,平成4年には14ヶ所までに拡大.現在は73ヶ所を数えるほどになった.
一方でその運営は困難を極めた歴史がある.それまでは自前資金での運営を余儀なくされていた作業所に,昭和63年より埼玉
県から70万円という補助金が交付された.そして平成4年には90万円となる.平行して国からの補助金として年間90万円もプラスされたが,家族会運営の作業所のみ対象であったため,当時すでに運営を始めていたやどかりの里の3ヶ所の作業所は年間90万円の運営資金しか持たなかったことになる.職員の人件費はおろか,活動の場を維持するだけの額にも満たない状況である.当時のメンバーや職員の話を聞くと,自分達の活動の場や給与を確保するために,バザーをはじめとするイベントを開催するなど外で資金を確保してきたり,県内の作業所が集まり補助金増額の請願運動も展開した.
その後補助金は少しずつ増額し,現在は県と市より合わせて500万円(定員10名以上),国からは全国880ヶ所に110万円の運営費が交付されている.しかし,その運営現状は未だ厳しい.特に国庫補助金は全国の作業所数が増える中年々厳しくなっており,今年度以降その査定に入るかが見込めなくなっている.
そんな中,皆で切実な事態を共有し,運動へと展開できればと始まったのが「作業所のあり方を考える会」である.やどかりの里で運営する6ヶ所の作業所の担当職員と,運営に関心のあるメンバーが月1回ペースで集まり,それぞれの運営状況を収支決算から読み取るところから始めている.そこでは,常勤1人・非常勤1人の職員態勢と,家賃を考えた時,500万円という額では捻出できてないこと,そこでどの作業所も経費の節約や売上のアップを図り,最終的にはメンバーの賃金まで削らざるを得ない.
あるメンバーは「皆で頑張って売上は上がっているはずなのに,賃金は一向に上がらない」と嘆く.結局家賃や光熱費,職員人件費等運営に係る費用が補助金だけでは足りず,皆で売り上げた事業売上からまわしているのだ.喫茶店,内職,手作り品作成,お弁当販売,リサイクル品販売,手作り品委託販売等々,事業種目は違えど,その運営の深刻さはどこも変わらない.
「考える会」では今後,そもそも補助金とは何を根拠にどのような発想で交付されているかを学習し,現状と照らし合わせての問題点や課題について話し合う予定でいる.
やどかりの里でも作業所を利用するメンバーは多い.「たとえ賃金が少なくとも,働くことは暮らしにはりや生き生きとした気持ちを与えてくれる」そう話すメンバーがいた.その作業所を安定して運営していくこと.そのためには相応の資金も必要となる.今年から政令指定都市となったさいたま市では,作業所の行政窓口も市へと移行する.今後やどかりの里だけではなく,市内の作業所に対してもこの集まりを呼びかけられたらと思う.その中で,私たちが何を大事にしたいのか,そのためには何が必要なのかを話し合い,運動へと繋げられればと考える.
(高村 美鈴)
機関紙「やどかり」5月号より
新人職員座談会
自分たちの夢に向かって Let's go!
春は出会いの季節!やどかりの里にも新しく職員が加わりました!
今年の春から新しく入職した木戸智子さん(大宮中部生活支援センター),1年半のアルバイトを経て入職した原健太郎さん(大宮東部生活支援センター),6年の非常勤を経て常勤となった山本美佐子さん(通
所授産施設エンジュ)と,年齢もやどかり歴もバラバラな面々です.どんな人たちなのでしょうか?さっそく聴いてみましょう♪
◎この職業を目指したのはどうして?
原さん:高校から長く考えた時間の中で,普通
の一般企業で働く事と比べて,物を扱うより人と接する仕事がいいと思った.福祉だと人と接する機会が多いかなと思って選んだ.
山本さん:もともと,お料理することが好きだった事と,女性としての立場を活かせるような仕事を選んだ方が,生涯続けられるんじゃないかと考えて栄養士を目指した.
木戸さん:大学に入るまで精神保健の分野を知らなかった.大学に入る頃に介護保険がいわれてて,福祉に興味をもった.まんべんなくいろんな分野を学ぶ中で,精神保健が一番興味をもって取り組めると思った.本来あるべき,より良い生活,豊かな生活,物質的なことだけじゃなく気持ち的に.それらをすごく大事にしてるなと思って居心地がよかった.
◎やどかりの里に来たきっかけは?
原さん:最初,精神保健福祉士の実習で来た.精神障害者という見方だけじゃない,人を人としてみるところにとても惹かれた.やどかりは,人を人としてみる事は特に力を入れてきた部分はあると思う.それを理念として持って,普遍化しようとしている事は本当に大切.それを誇れる部分としている事は魅力だ.
山本さん:下の子が幼稚園に入った時からボチボチ仕事は始めてて,小学校に上がった時にまじめに職探しをして,大宮保健所の栄養士さんから紹介してもらって来た.精神障害のことは全く知らなかった.実際,障害を持つ方と一緒に仕事はするけど,私の仕事っていうのは,お弁当の調理だとか献立作りだったので,そこは知らなくても問題はなかった.やっててホントに楽しかったし.
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